カテゴリー「TV」の8件の記事

2008.04.20

衛星落語招待席

衛星劇場=2005.03.14放映(2003.10.26収録)
月日の経つのは早いもので、こないだマッカーサーが来たと思ったら、もう文朝忌です。18日が命日でしたが、亡くなったと知った時の落胆はやはり大きかったですね。この一年、文朝の新しいCDは出なかったので、これまでに録画しておいた中から「茶の湯」を観る。平成15年10月26日に新宿末広亭で収録されたものだが、その末広亭にぴったりと馴染む文朝のその佇まい。出囃子『外記猿』に乗って出てくるその姿。この高座では、御馴染みのマクラ、“寄席には格言と言うものがありまして、それは何かってーと十月二十六日の客を大事にしろ。今日が偶然その日でございます。もっとも、客席には客席の言い伝えがありまして、十月二十六日に来た客は、その年、七回寄席に来ないと必ず祟りがある。”、そして“月日の経つのは早いもんですなぁ、こないだマッカーサーが来たと思ったら、あってぇ間にもう秋ですから。油断も隙もあったもんではございません。”を二つともに堪能できる。また、定吉が青黄粉と椋の皮を買ってくるところなんか、その場面転換が実に巧みですよね。この「茶の湯」、<極私的名盤十撰>でも挙げているけれど、やはり映像だと例のお茶を飲んだときの物凄い表情も観ることができて実に楽しい。客席からも絶え間ない幸せそうな笑い声。小三治が圓生の「茶の湯」を聴いても面白くもなんともないんだが、文朝のを聴くと面白いんだよなぁ、と何処かで言ってたのも頷けます。まぁ、無い物ねだりをしても詮無い事だけれど、こうして改めて高座を観ているとやはり喪失感を禁じえません。最近、権太楼が時折にこの文朝のマクラを使うのは、当初、パクってんのかとちょっと不快感がありましたが、あれは文朝へのトリビュートなんだろうと今は思っています。

| | コメント (0)

2007.09.11

おかえり!

テレビ朝日(2007.09.09放映)
たまたま目に付いたので録画しておいた。各界の著名人のこだわりの場所を訪ねるという趣旨の番組のようだが、まぁ、その回の登場人物の来し方行く末をコンパクトにまとめて、関係人物が賞賛するというものか。今回は春風亭小朝。その才気煥発さが手際よくまとめられていて、楽しめた。ただ、番組中でナビゲーターの三宅裕司が、小朝は小学六年の時には150の噺を既に覚えていたと言っているのだが、以前に聴いたCDの解説では中学生の頃には70幾つの噺をものにしていたと書いてあった。どちらが本当なのだろう?
それよりも、許すことが出来ないのは、昭和の名人達を紹介する所で、先代の金原亭馬生の写真を古今亭馬生としてあったことだ。テレビ朝日ともあろうものが、なんたる大失態。

| | コメント (0)

2007.07.04

蔵出しエンターテインメント

NHKBS2(2007.07.04放映)
 ◇古今亭志ん生「風呂敷」(1955.05.04初回放送)
 ◇古今亭志ん生「岸柳島」(1955.09.18初回放送)
これは、なんとも貴重な、そして有難い映像を放送して貰ったものだ。「風呂敷」のほうは、以前に放送50年ということで、日本の話芸の枠で「おかめ団子」のサワリと共に玉置宏さんの案内で放送されていたが、噂のみ聞いていた「岸柳島」がとうとう放送されて、これで志ん生の高座の映像は全て録画したことになる(のだろうか?)。本当に、観ているだけで可笑しいもの!映画『銀座カンカン娘』ともども私の貴重なアーカイブだ。
なお、この番組、今月は落語特集ということで、正蔵、小さん、枝雀を放送予定。しかし、この情報、『東京かわら版』には載っていなかったなぁ。あやうく観そこなうところだった。

| | コメント (0)

2007.06.25

日本の話芸

NHK教育(2007.06.23放映)
 ◇古今亭志ん五「付き馬」
   収録=イイノホール(2007.04.13)
最近聴いた落語の中で出色の出来。これまで、志ん五を「浮世床」「不精床」でしか知らなかった私自身の不明を恥じています。参考までに志ん朝のものも聴いたが、“七月の槍”というクスグリも入っており、基本的には志ん朝と同じようだ。基本的には志ん朝と同じではあっても、志ん朝の洒脱な感じとは違う志ん五の固有の雰囲気が出ている一席。犬が歩き、しーんと静まった吉原の朝の雰囲気を、知人が話した、錦糸町で遊んで終電に乗り遅れ、カプセルホテルに泊まった翌朝の気分をしみじみと思い出しながら聴く。また、映像のお陰で、図抜け大一番小判型というものが如何に大きいものなのか、想像することができた。
この噺、CDでは、志ん生、志ん朝の親子、そして圓生のものしかないようだが、小三治の新シリーズではカタログに入れて欲しいものだ(因みに第14回の朝日名人会で高座に掛けている)。

| | コメント (0)

2007.04.12

BSふれあいステージ

NHKBS2=2007.04.10放映(2007.03.19収録)
この番組、今年度からはシブヤらいぶ館というタイトルがBSふれあいステージに変更になったのですかね。しかし、中身は変わりはないようで、相変わらず六人衆も続いているみたい。
今回は、師弟競演ということで、米丸と米福。噺家さんが噺家になろうと決めて師匠を選ぶ場合、どのような基準で決めているのだろう?まあ、大概は自分の好きな師匠の所にいくのだろうけれども、一概にそうとも言えないようなところがあるのかもしれない。あの小三治だって、ソックリに真似できるほどに傾倒していたという圓生の所へはいかずに小さんのところへ弟子入りしている。小みちのように、小三治に断られて燕路に弟子入りしている場合もある。また、その師匠に、もう弟子がいるかどうかで決める場合もあるようだ。米福の場合、寄席で一番客に受けていたのが米丸だったので、弟子入りを決めたと言っている。しかし、新作の米丸の所に行って、古典をやりたいと言うのはどういうことなのだろう。ひとつは、米丸がその師匠の今輔に弟子入りしてからの成り行きをやはり幾らかは知っていて、あるいはそういう米丸だから、理不尽なこともしないだろうとの思惑も米福にあったのではなかろうか?
しかし、そういうことはさておいて、私は米福好きですね。このひとにもフラがあって、噺に雰囲気があります。テンポもよく、元気もあり、聴いていて楽しい噺家さんです。
米丸は、これまでテレビで何度か聴いていてなんだか古臭く、もう一つ楽しめなかったのですが、今回の高座は楽しめました。マクラが現在のことを話しているので、本当の新しい新作かなと思ったほどです。本題に入っても全然古さを感じませんでしたが、30年前から演っている噺だとか。ジョーズのテーマ音楽もなかなか効いていました。ところで、米丸、高座への上り下りでよろけていた様子でしたが、大病の後でもあり気をつけてください。
 演目=米丸「ジョーズ」、米福「鰻屋」

| | コメント (0)

2007.02.27

落語の極

テレビ東京(2007.02.22放映)
 ◇瀧川鯉昇「宿屋の富」
   収録=深川江戸資料館

インタビューで、鯉昇のプロとしての噺家の気概をみせてもらった気がする。随分長い間続けている幾つかの落語会では、身辺雑記風のマクラを新たに拵える事を自身に課してきて、集積したそれらのマクラで一時間は場を持たせる事が出来る、との自信を(勿論控え目にだが)鯉昇は語っている。この日の高座でも、よく耳にする“運のいい人、悪い人の”マクラのほかに、初めて聴く小咄をこれでもかと聴かせてくれた。さすが、余裕のマクラである。
この日のネタ、「宿屋の富」の舞台を、鯉昇は湯島天神としているが、地理的に言えば、椙ノ森神社が妥当なところだが、地方の人には、やはり判りにくいから、知名度の高い湯島天神にしているという。これについては志ん朝にも尋ねたが、それでいいんだよとの返事だったとか。ちなみに、志ん朝も志ん生も湯島天神として演じている。しかし、馬生は、椙ノ森神社である。火焔太鼓というものは大きい物だから、風呂敷に包んで運べる代物ではないんだということで、大八車で運ぶ設定にしたという「火焔太鼓」同様、さすが、馬生の面目躍如である。
志ん朝のCDに付いている榎本滋民さんの解説を読むと、五百両の入った胴巻きを投げ出すと、なじみの女郎が一尺ばかり飛び上がるというクスグリは、“志ん朝の独創”らしいが、このクスグリは鯉昇のものにも入っている。鯉昇は、志ん朝に教わったのだろうか?しかし、一文無しの客の法螺話は、鯉昇のものが桁外れだ。奉公人の数も然り、庭に、富士山、琵琶湖があるというのも然り。さすがは鯉昇と思う所は、何度も何度も籤を確認した後に、“どこが違うんだ!?”という一言。この一言に鯉昇落語のエッセンスがあると思う。
この噺は、上方の「高津の富」を三代目小さんが江戸に移植したそうだが、フーン、それなら、うどんも蕎麦に直せばよかったのに、と思っていたら、それにも榎本さんは、ちゃんと解説している。三代目小さんは、多くの噺を上方から持って来て、“筋・演出をかなり変えたものが多いが、これはすんなりと移したものの方”らしい。小さんと言えば、先代小さんの「宿屋の富」は、ちょっと違っていて、宿主の方から当たったら半分下さいと申し出るし、富が当たり部屋に戻った客は二階ではなく、一階に布団を被って寝る。榎本さんの解説を読むと、七代目可楽から教わった先代小さんのこの演出が、本来の型ということになるのだろうか?
『落語の極』、次回は、「時そば」。そして、『東京かわら版』によると、来月は、三升家小勝、五街道雲助が登場するらしい。

| | コメント (0)

2007.02.21

立川談志・71歳の反逆児

NHKBShi(2007.02.20放映)
この番組、ドキュメントとして楽しんだ。談志が噺を抜くということは、これまでもあったのではなかろうか(「芝浜」ではなかったとしても)?ただ、この事態が老いという事象にマッチした談志の今の有り様ということで、このドキュメントは始まったのではなかろうか?老いを前に周章狼狽し、いろんな言葉を吐く自分を気障だ、みっともないと談志は承知している。それこそ、業として肯定すればいいじゃないかとも。しかし、また、こういう姿も賛否分かれるのであろう。曝け出す姿をよしとする者もあれば、いや、多くの人が、こういう場合何も言わず耐えて生きているんだと言う者もあろう。
太田光が、談志の落語はセックスと同じだと言っている。一瞬のエクスタシーのために、じっと聴いていると。私は、ビデオで或いはCDでしか聴いたことがないので、その辺はよく判らないが、しかし、それらは擬音、擬態が頻出するものだった。そういう落語だから、談志が嘆く、笑うべきでないところで笑う観客が現われるのではなかろうか。そして談志は自身言うところの笑われ屋となる。
『談志百席』が図書館にあったので、以前、聴いてみた。その何枚かを聴いて、あとは聴かなかった。本を読んでいるかのようだった。この番組で、そのCDの録音の様子を映していたが、やはり、チラチラ原稿を読みながらのものだった。納得した次第である。
貴重な映像もあった。談志が小ゑん時代の映像で、『反対俥』を演っている。いわゆる談志を髣髴させる映像だ。また、最近の高座の模様でほんの少し流された『鼠穴』、これは全編聴いてみたいとも思った。
全く関係ないことだが、太田光は談志の若い時になんとなく似ているような気がするのだが。いかがでしょうか?

| | コメント (0)

2007.02.15

落語の極

テレビ東京(2007.02.15放映)
 ◇春風亭小柳枝「二番煎じ」
   収録=深川江戸資料館(2007.01.11)

小柳枝も、好きな噺家の一人。噺家の匂いがするし、出の形もいいですよね。右手を前に出し、前屈みになりながらの出。
今日の『二番煎じ』、外連味のない本寸法のものと思いました。声もいいし、何度か客席からも中手が起こる。それに仕種も巧みだからいうことはない。この噺の中で、“猪が二つ玉に驚いておとなしくなる”というクスグリがあるのだけれど、これを言う噺家と言わない噺家があるが、流派による型の違いなのだろうか?それとも単なる時間とかの問題?前回、『文七元結』の時は、やや緊張しているかにも見えたが、今回は、本題に入ってからは流麗な運びだった。
この番組、たっぷりと聴かせてくれるのはいいのだが、なかには時間を持て余して徒にマクラを長くする演者もいて退屈に感じる向きもあったが、今回の小柳枝のマクラ、なかなか為にもなり振袖火事の謂れなど、とても勉強になりました。
気になることが一つ。最後のオチのところでクレディットが流れるのだけれど、あれはせわしない感じがして、とても興がそがれるので止めて欲しいと思う。なんとかならないでしょうか?
余談だが、前回、小柳枝がウクレレを弾きながら「若者たち」を唄ったのだが、これがとても良かった!小柳枝の人柄も窺える一遍の人情噺のようでありました。
来週は、瀧川鯉昇が登場。これも楽しみ。演題は何かしら?

*この番組の収録日時は空飛ぶ!気まぐれ雑記帳様からの転載です。有難うございます。

| | コメント (0)

その他のカテゴリー

BOOK CD DVD ETC LIVE MAGAZINE MOOK MOVIE TV WEB 落語研究会