カテゴリー「BOOK」の53件の記事

2010.06.01

昭和の爆笑王 三遊亭歌笑

岡本和明=新潮社
本書の“あとがき”に、“本書に書かれた話は、公園で出会った見城との話以外は、ある程度の誇張はあるが、ほとんどが事実である”とある。だから、見城との会話で、当時の時代背景、あるいは落語界の状況などを説明しているのだが、やはり幾許かの違和感は否めない。しかも、見城との会話以外でも、会話によって状況を説明している部分があるのだが、このあたりもリアリティが感じられない。たとえ、語られていることが事実であっても、そういう口調で会話したであろうかとの思いがある。例えば、歌笑と弟弟子の金太郎(小南)との会話であるが、確かに歌笑が兄弟子であるから、金太郎に対して兄弟子であるような口調で話すだろうかもしれない、しかし、本書で書かれているように、自身の容貌のために幼少の頃から虐げられてきた歌笑は、たとえ自分が身分が上に位置する立場であろうとも、遠慮深げな言葉遣いをしたのではなかろうかと想像するのだが…。
歌笑が亡くなって半世紀以上経っているのだから、もう判らないことがあるのかもしれない。また、未だ書けない事があるのかもしれない。しかし、例えば、歌笑の“咄家としての人生に於いて重要な分岐点”となった人形町末広での出演の、その明確な日時などは明記して欲しかった。また例えば、歌笑の真打昇進興行のときに、“歌笑……これ迄随分つらく当たってきたが勘弁してくれ……”と謝ったという咄家の、その日の歌笑の日記に記されていたというその名前は知りたいとも思う。
さらに欲を言えば、紙幅の関係もあるかもしれないが、人気沸騰した歌笑の当時の状況をもっと知りたいと思う。歌笑が人気絶頂の頃の記述の量に物足りなさを覚えるのである。タイトルにあるように”昭和の爆笑王”といわれる所以をもっと理解するためにも。
しかしながら、本書によって、歌笑の生い立ちを詳しく知ることができた。そして、戦後、歌笑が台頭してきた状況も知ることができた。それから、権太楼、歌笑、痴楽、三平という落語界のもう一つの流れも理解することができた。これまであまり言及されてこなかった咄家にスポットライトをあてた本書は、この点において貴重かもしれない。

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2010.05.16

十代目金原亭馬生―噺と酒と江戸の粋

石井徹也=小学館
当初、四月発売予定だったが、今月13日に発売された。書店で手にとって見ると、お目当ての一つである馬生の主要演目一覧がただ単に演目名を五十音別に羅列しているだけであったので、落胆し、よっぽど買うのを止めようかと思ったほど。『よってたかって古今亭志ん朝』の演目一覧と比較してみるとその差は歴然。雲助の“寄席のネタ帳は見たんですか?”という問いに、“今回は間に合わなかったんですが、寄席のネタ帳の確認は今後の課題ですね。”と編者は言っているので、まぁ、今後に期待するとしましょう。
また、本全体の構成も『よってたかって~』と類似しているようにも思われるが、例えば、弟子の鼎談にしても、その密度という点に関して、本書には重複する発言も見られたりして、『よってたかって~』の方に軍配が上がると思う。
とは言いつつも、池波志乃さんの証言とか、あるいは、馬生夫人が、“「最後の高座になった東横落語会の『船徳』は、体力的に十分でなく、出来が酷く悪かったから、帰りの車の中で、主人は“悔しい、悔しい”と言っていました」”と仰っていたという岡部さんの証言などは、涙なしには読むことができない。そして、新宿末広亭の席亭・北村さんの章は、席亭がどんなに馬生が好きなのかが実感できる素晴らしい章だ。この章を読むことによって、十二月下席のトリを何故、今松に任せるのかも知ることができるのだ。
しかしながら、馬生夫人は、美人ですね! その夫人との仲睦ましいエピソードももっと知りたいとも思う。

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2009.11.03

生きてみよ、ツマラナイと思うけど

小林茂子=小学館
久し振りに涙を流しました。読む人によっては、なんて身勝手な、いい気なもんだと思い、鼻白む思いがする箇所もあるかもしれない。しかし、著者と一つでも共通する体験がある人には、深い悲しみを有する人には、これほど慰められる本はないだろうと思う。
三代目三木助の日記に記された微笑ましい親馬鹿ぶり。あの“名人”三木助がネンネンコ(といってもわからない方が多いかもしれない。あの五木の子守唄の姉やが着ている半纏)を着ている姿を想像できますか? そして、文楽、志ん生の優しさ。そして、なんといっても三木助と兄弟分の小さんの愛情。そして、さらには、志ん朝の思いやり。あるいは、これらのことは、落語関連のあるエピソードとして面白いだけかもしれない。けれども、濃密な姉弟愛、これは、幼い頃に父親を亡くし、母親一人の手で育てられ、身を寄せ合って生きてきた姉弟ならそうなるのも最もだと納得できるし、そういう境遇の方なら、共感も出来るだろう。そして、あるいは、それぞれ病をお持ちの方も共感できる箇所があるかもしれない。そういう意味で、この本は、落語の本というよりも一般の本として広く読まれるのかもしれない。
四代目三木助の告別式の時に、小さんが“盛夫!”と呻いた箇所、三代目三木助が残した日記が、最後は日付が記されたのみで終わっているという箇所は、とめどない涙が流れてきました。
繰り返しますが、今、なんにも災いがなく幸せに生きている方には、この本は無用ですし、不愉快なものかもしれません。しかし、何かしら災いを持っている方には微かながらも生きていく力を与えてくれるかもしれません。
蛇足ながら、著者が小さんのオカミさんから勧められて最初に結婚した相手は立川ぜん馬だそうです。

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2009.10.08

江戸演劇史

渡辺保=講談社
先に少し書いた『江戸演劇史』をようやく読み終える。この本、歌舞伎だけではなく、能、狂言、文楽にもついても述べているので、これらの関連で、落語に関しても教えられることが多かった。一例を挙げれば、「真景累ヶ淵」で、豊志賀は富本節の師匠となっているのだが、それはその時代、富本節がまさに全盛だったことを恐らく反映しているのですね。
「淀五郎」に出てくる団蔵は、この本を読んでいる時には、五代目の“渋団”かと思いながら読んでいたのだけれど、どうも、四代目の“皮肉団蔵”らしいですね。圓生百席の芸談で、圓生が語っているのですけれども、当初、圓生も五代目と思い、そのようにして口演していたそうです。しかし、ある時に東大落語会の方から五代目では時代が合わないと指摘されてから、四代目として演っているとのことです。しかし、『江戸演劇史』を読むと、イメージとして五代目のほうが、「淀五郎」にはピッタリ嵌るように思えるのですが。
ところで、先日は、「中村仲蔵」について、落語、講談で伝えられている話は伝説で、真相は別のものだということを書いたのですが、同じ渡辺さんが書いた『歌舞伎ナビ』を読みましたら、その80頁に“これは有名な初代中村仲蔵の工夫だといわれています”と書いてあるんですね。どちらが本当なんだろう? こちらのほうは案内書として、あまり深くは書かれなかったのだろうか。
それに関連して、素朴な疑問として、三代目仲蔵が書いた『手前味噌』を渡辺さんも折々に引用しているのだが、「中村仲蔵」の件は否定して、他の所は大いに引用しているのです。その分岐点はどこにあるのでしょうか? ま、これは、専門的な視点でキッチリと判別されているのでしょうね。
最後のところで、渡辺さんは、能、狂言、そして人形浄瑠璃が江戸時代に古典化したが、そして、歌舞伎も古典化したのだが、歌舞伎役者の、歌舞伎のバイタリティによって、興行財として一般大衆の中に生きていった、と結ばれている。この文章は、今、落語にこそ当てはまるのではないかと思うのです。いや、そうあって欲しいと希うのです。
この本、先にも書いたとおり、間違いなく渡辺さんの意図したとおりの面白い歴史書です。ただ、渡辺さんも、索引を付さなかったことを許していただきたいと仰っているのだが、やはり、これは欲しかった。唯一、残念なことです。

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2009.09.22

江戸演劇史

渡辺保=講談社
今読んでいるこの本に、落語「中村仲藏」に関して、以下のようなことが書かれており、大変参考になった。勿論、このことは、多くの方々にとっては既知の事とは思うが、私自身の備忘録として記しておきたいと思う。
江戸演劇史(下)』(33頁)によると、落語や講談に伝わる仲蔵の苦心談は伝説であり、五代目団十郎が語ったところによると、四代目団十郎が開いていた研究会で、五代目がこの案を出したところ、四代目に“団十郎”がすべきことではないと拒否され、それを、この研究会に出席していた仲蔵がこの事を思い出して、五代目に許可を貰い、その演出で舞台に掛けたというのが真相らしい。
無論、噺としては伝説のほうが面白いが、真相のほうもまた面白い。この本、時代感覚、固有名詞等が頭に大略入るまで最初のうちは読むのに時間がかかるが、しかし、その後は、渡辺さんが意図するように楽しく読める歴史本だ。落語のネタにも少なからずなっている歌舞伎のことを多少なりとも知ることができる好著だと思う。

※追記=中込重明さんの『落語の種あかし』によると(269頁)、“仲蔵が実際の見聞から定九郎の扮装を思いついたことを裏付ける資料もある”そうで、“示唆を受けたという説と、実際の見聞説とは矛盾しない、とみる説もある”そうだ。(2009.10.12)

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2009.03.08

青い空、白い雲、しゅーっという落語

堀井憲一郎=双葉社
この本は、“落語の”本です。しかも、とても面白い落語の本です。ここ何年間雨後の筍のように出版された有象無象の本が束になっても敵わない面白さです。そして、月に二、三回程度の寄席通いを一年間続けた人には、その面白さは、さらに倍加するでしょう。
例えば、小のぶのことを書いた『芝浦の公民館の独演会は客四人』の項など、まったくもって痺れます。私も、小のぶの名前が気になり、末広亭に珍しく出るというので足を運んだことがありました。しかし、独演会に行く勇気がありませんでした。“ああ!もし行っていたら、こんな場面に遭遇していたのか!”と思うと恐ろしくもあり残念でもあります。
そしてまた、『上野鈴本、歌だけ、悪夢の小三治独演会』の項。“小三治の独演会は、いろいろ何度も行ってるし、小三治の落語は何度もライブで聞いている。でも、上野鈴本の独演会は、何やら聖地という感じがして是非行きたかったのだ”という気持ち。とても判ります。私もそう思いましたが、チケットが手に入りませんでした。で、苦労して手に入れたその上野鈴本での独演会が、歌だけの会だというので、堀井さんは我慢できずに仲入前に席を立ったのです。最後までいた“手下のマルオカ”さんによると仲入の時に、後ろにいた上品な御婦人が“ほんと「寝床」ねぇ”と溜息まじりに言ったそうです。小三治にも容赦のない批評をしているのでこの本はまた面白いのです。
ただ、『赤坂TBSロビーで談春が稽古をつける』は、実に後味の悪いものでした。感想を述べる気にもなりません。
この本、後半には、十人の噺家へのインタビューがあるのですが、それも面白く読みました。扇辰が前座の頃、楽屋で聞いた志ん朝と小三治の会話がまた物凄い!ホント、同じ空気を吸ったというのは素晴らしい財産ですよね。

この本の後に、大友浩さんの『噺家ライバル物語』も期待して読んだのだが、全くの期待はずれ。引用が全体の半分あるんじゃないのかと思うほどに多い! それもその多くは落語が好きな人だったら既に読んでいるような本からの引用ばかり。そして、わざわざライバルと対立させて構成する意味を感じなかった。さらに、著者の以前の著書で志ん朝の脱糞事件に言及しなかったことへの言い訳みたいなことを書いているが、端無くもそのことが証明するように、全体として綺麗ごとに終始しているように感じられ、堀井さんのように著者の肌触りが感じられなかった。

しかし、これから刊行される予定の三冊の堀井さんの本、早く読みたいなぁ!

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2008.11.08

子米朝

桂米團治=ポプラ社
正直、この本の感想を書くつもりはなかったのだけれど、先日放映された米團治の襲名披露口上の様子を観たものだから、ちょっと書いてみようと思った。TVの内容は本に書かれたものと殆ど同じと言ってもよかった。本を読んでいたから、テレビの内容もよく判ったといえるし、テレビを観たから本も面白くなったとも言える。本単独では、さほど面白いとは言えない物足りなさがあった。本で、米團治は、自身のことを盛んに“甘い、甘い”と言っているのだけれど、それは単にテレなのかなとも思われもしたのだが、やはり甘いのかもしれない。その辺の甘いのか、甘くないのかどっちつかずの中途半端さが、本にはあったと思う。テレビを観てその辺の中途半端さが少しはクッキリとしたとも言えるかもしれない。ある意味、TVと本との見事なタイアップなのかな。
ところで、テレビで放映された「百年目」、これは酷かった。なんともバタバタと落ち着かない高座だった。番頭が番頭ではないんですよね。米朝から番頭の格というようなものを教わったとも思うのだが、それが生かされていない。比べるのは酷かもしれないけれど、米團治と大体同じ年齢で口演した『上方落語全集』の「百年目」は、骨格もしっかりしていて、後の物とも違い、力強い若さもある「百年目」。米團治のは、喋っているのは「百年目」だけど、演っているのは「七段目」という感じだった。
しかし、本の中で“関西どないかせんと”と意気込んでいる米團治だから、きっと自身の芸も変わっていくでしょう。

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2008.10.12

落語の名作100

金原亭馬生(十一代目)=日本文芸社
本のほうには興味はなく、附録のCDを聴いてみようと思い借りたのだが、CDに収録されている「笠碁」が滅法面白い。当代馬生のすっとぼけた可笑しさが素晴らしい。
同じ「笠碁」をSONYからも出しているのだが、それよりもこちらの方が格段に面白いのだ。マクラが、SONYのものより幾らか長いけれど、本題は殆ど変わらない。しかし、マクラの、碁会所で碁を打っている客とそれを冷やかす客とにしても、本題の近江屋と相模屋にしても、SONYの方はそれぞれが馬生が演じている役者なのだが、こちらの方は、もう馬生は存在しないんですよね。SONYの方は、台本の読み合わせのような感じがするのだけれど、こちらの方は何回も公演を重ねた芝居を観るかのようなのです。SONYの方の収録が1999年。こちらの方が2006年。成程、それも致し方ないですかね。とにかく、雰囲気が違うのです。
ただ、このCD、惜しいかな、雑音が一箇所入っています。

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2008.06.08

人生、成り行き―談志一代記―

立川談志=新潮社
誰かが、どこかで言っていたのですが、一流の幇間は客を前にして殆ど何も喋らないそうです。ただ相槌を打ち相手が話すのに任せる、そして、時折の一言で相手がますます話したくなるように持っていくそうです。そういう意味では、この本における談志の聞き手、吉川さんには、幇間芸の極致を見せてもらった思いです。ただ、ところどころ、ここまで言うか、と鼻白む箇所が無きにしも非ずですが、談志は本当に気持ちよく喋っています。
私は、談志の本をそれほど読んではいないので、あるいはどこかでもう談志が語ったり書いたりしているのかもしれませんが、志ん朝と圓楽が、そして、馬風と小三治が仲が悪いということを、この本で初めて知りました。志ん朝は、圓楽がヘタだから嫌ったそうです。圓楽は、志ん朝を七光りと思い嫌ったそうです。しかしながら、このほかのことは、もう既に談志自身が、どこかで書いたり話したりしたことの繰り返しでした。志ん朝、圓楽等のことも、熱心な談志ファンの方なら疾うに御存知のことかもしれません。ましてや最近は、TVなどでも談志は大いに語っていますからね。そういう意味では、協会脱退事件のことなど、もっと詳しく語って欲しかったですね。政治家時代のエピソードはなかなか面白かったですけれど、これも知っている人は知っている事かもしれません。
最後、第十回の項では志の輔も加わっているのですが、これまで見事な幇間芸を披露していた吉川さんが、志の輔には態度を豹変するのですね。ちょっと傲慢な態度になるのです。ここまで変わるのかというくらいに。“嘘と隠し事とは違うんだよ、志のさん”と言ったり、“録音マイクを触るなよ(笑)”と言ったり。談志も認めている志の輔の力量。志の輔、“なんだ、こいつ、何様だ”と腹わたが煮えくり返っていたのではないでしょうか。
面白さでは、『赤めだか』の方に断然軍配を挙げます。

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2008.05.18

赤めだか

立川談春=扶桑社
談春は好きではないけれど、談志のエピソードが聴きたくて読んでみる。読んで、その文章の達者なことに驚く。客観・主観ともに見事に描き切る。アイロニーもあり、場面場面の描写も的確。ホント、頁を捲るのももどかしいという感じで読みました。しかし、これ、本当に談春が筆を執ったのかしら?談春が「談春」に“オレ”とか“ボク”とかのルビを振るという小賢しい真似をするだろうか?ま、それはともかくとして、談志のエピソードが好きな人には堪らない一冊かもしれません。また、文字助のエピソードも爆笑モノ!電車で読んでいて、笑いをこらえるのに必死。
談春の、入門から真打になるまでの事が、八話に渉って書かれており、二つの特別篇が付いている。しかし、この特別篇は余計だった。文の調子も違っている。せっかくのいいリズムがこの二編で損なわれている。こんなことに頁を割くくらいなら、本編でもっと談志の、文字助の、前座仲間のエピソードを書いて欲しかった。
とは言いながらも、特別篇で言及されている米朝の「除夜の雪」を聴きたいなと思ったら、幸いなことに偶々手元にあったので、それを聴いてみた。確かに、暗い噺だが、前半の珍念の抜け目無さが笑える所か。しかし、談春のそれを、わざわざ聴こうとは思わないが。
『人生、成り行き 談志一代記』なるものが、まもなく刊行されるようだが、この『赤めだか』、この談志本の露払いの役目も果たしているのかもしれない。

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