カテゴリー「BOOK」の51件の記事

2009.11.03

生きてみよ、ツマラナイと思うけど

小林茂子=小学館
久し振りに涙を流しました。読む人によっては、なんて身勝手な、いい気なもんだと思い、鼻白む思いがする箇所もあるかもしれない。しかし、著者と一つでも共通する体験がある人には、深い悲しみを有する人には、これほど慰められる本はないだろうと思う。
三代目三木助の日記に記された微笑ましい親馬鹿ぶり。あの“名人”三木助がネンネンコ(といってもわからない方が多いかもしれない。あの五木の子守唄の姉やが着ている半纏)を着ている姿を想像できますか? そして、文楽、志ん生の優しさ。そして、なんといっても三木助と兄弟分の小さんの愛情。そして、さらには、志ん朝の思いやり。あるいは、これらのことは、落語関連のあるエピソードとして面白いだけかもしれない。けれども、濃密な姉弟愛、これは、幼い頃に父親を亡くし、母親一人の手で育てられ、身を寄せ合って生きてきた姉弟ならそうなるのも最もだと納得できるし、そういう境遇の方なら、共感も出来るだろう。そして、あるいは、それぞれ病をお持ちの方も共感できる箇所があるかもしれない。そういう意味で、この本は、落語の本というよりも一般の本として広く読まれるのかもしれない。
四代目三木助の告別式の時に、小さんが“盛夫!”と呻いた箇所、三代目三木助が残した日記が、最後は日付が記されたのみで終わっているという箇所は、とめどない涙が流れてきました。
繰り返しますが、今、なんにも災いがなく幸せに生きている方には、この本は無用ですし、不愉快なものかもしれません。しかし、何かしら災いを持っている方には微かながらも生きていく力を与えてくれるかもしれません。
蛇足ながら、著者が小さんのオカミさんから勧められて最初に結婚した相手は立川ぜん馬だそうです。

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2009.10.08

江戸演劇史

渡辺保=講談社
先に少し書いた『江戸演劇史』をようやく読み終える。この本、歌舞伎だけではなく、能、狂言、文楽にもついても述べているので、これらの関連で、落語に関しても教えられることが多かった。一例を挙げれば、「真景累ヶ淵」で、豊志賀は富本節の師匠となっているのだが、それはその時代、富本節がまさに全盛だったことを恐らく反映しているのですね。
「淀五郎」に出てくる団蔵は、この本を読んでいる時には、五代目の“渋団”かと思いながら読んでいたのだけれど、どうも、四代目の“皮肉団蔵”らしいですね。圓生百席の芸談で、圓生が語っているのですけれども、当初、圓生も五代目と思い、そのようにして口演していたそうです。しかし、ある時に東大落語会の方から五代目では時代が合わないと指摘されてから、四代目として演っているとのことです。しかし、『江戸演劇史』を読むと、イメージとして五代目のほうが、「淀五郎」にはピッタリ嵌るように思えるのですが。
ところで、先日は、「中村仲蔵」について、落語、講談で伝えられている話は伝説で、真相は別のものだということを書いたのですが、同じ渡辺さんが書いた『歌舞伎ナビ』を読みましたら、その80頁に“これは有名な初代中村仲蔵の工夫だといわれています”と書いてあるんですね。どちらが本当なんだろう? こちらのほうは案内書として、あまり深くは書かれなかったのだろうか。
それに関連して、素朴な疑問として、三代目仲蔵が書いた『手前味噌』を渡辺さんも折々に引用しているのだが、「中村仲蔵」の件は否定して、他の所は大いに引用しているのです。その分岐点はどこにあるのでしょうか? ま、これは、専門的な視点でキッチリと判別されているのでしょうね。
最後のところで、渡辺さんは、能、狂言、そして人形浄瑠璃が江戸時代に古典化したが、そして、歌舞伎も古典化したのだが、歌舞伎役者の、歌舞伎のバイタリティによって、興行財として一般大衆の中に生きていった、と結ばれている。この文章は、今、落語にこそ当てはまるのではないかと思うのです。いや、そうあって欲しいと希うのです。
この本、先にも書いたとおり、間違いなく渡辺さんの意図したとおりの面白い歴史書です。ただ、渡辺さんも、索引を付さなかったことを許していただきたいと仰っているのだが、やはり、これは欲しかった。唯一、残念なことです。

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2009.09.22

江戸演劇史

渡辺保=講談社
今読んでいるこの本に、落語「中村仲藏」に関して、以下のようなことが書かれており、大変参考になった。勿論、このことは、多くの方々にとっては既知の事とは思うが、私自身の備忘録として記しておきたいと思う。
江戸演劇史(下)』(33頁)によると、落語や講談に伝わる仲蔵の苦心談は伝説であり、五代目団十郎が語ったところによると、四代目団十郎が開いていた研究会で、五代目がこの案を出したところ、四代目に“団十郎”がすべきことではないと拒否され、それを、この研究会に出席していた仲蔵がこの事を思い出して、五代目に許可を貰い、その演出で舞台に掛けたというのが真相らしい。
無論、噺としては伝説のほうが面白いが、真相のほうもまた面白い。この本、時代感覚、固有名詞等が頭に大略入るまで最初のうちは読むのに時間がかかるが、しかし、その後は、渡辺さんが意図するように楽しく読める歴史本だ。落語のネタにも少なからずなっている歌舞伎のことを多少なりとも知ることができる好著だと思う。

※追記=中込重明さんの『落語の種あかし』によると(269頁)、“仲蔵が実際の見聞から定九郎の扮装を思いついたことを裏付ける資料もある”そうで、“示唆を受けたという説と、実際の見聞説とは矛盾しない、とみる説もある”そうだ。(2009.10.12)

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2009.03.08

青い空、白い雲、しゅーっという落語

堀井憲一郎=双葉社
この本は、“落語の”本です。しかも、とても面白い落語の本です。ここ何年間雨後の筍のように出版された有象無象の本が束になっても敵わない面白さです。そして、月に二、三回程度の寄席通いを一年間続けた人には、その面白さは、さらに倍加するでしょう。
例えば、小のぶのことを書いた『芝浦の公民館の独演会は客四人』の項など、まったくもって痺れます。私も、小のぶの名前が気になり、末広亭に珍しく出るというので足を運んだことがありました。しかし、独演会に行く勇気がありませんでした。“ああ!もし行っていたら、こんな場面に遭遇していたのか!”と思うと恐ろしくもあり残念でもあります。
そしてまた、『上野鈴本、歌だけ、悪夢の小三治独演会』の項。“小三治の独演会は、いろいろ何度も行ってるし、小三治の落語は何度もライブで聞いている。でも、上野鈴本の独演会は、何やら聖地という感じがして是非行きたかったのだ”という気持ち。とても判ります。私もそう思いましたが、チケットが手に入りませんでした。で、苦労して手に入れたその上野鈴本での独演会が、歌だけの会だというので、堀井さんは我慢できずに仲入前に席を立ったのです。最後までいた“手下のマルオカ”さんによると仲入の時に、後ろにいた上品な御婦人が“ほんと「寝床」ねぇ”と溜息まじりに言ったそうです。小三治にも容赦のない批評をしているのでこの本はまた面白いのです。
ただ、『赤坂TBSロビーで談春が稽古をつける』は、実に後味の悪いものでした。感想を述べる気にもなりません。
この本、後半には、十人の噺家へのインタビューがあるのですが、それも面白く読みました。扇辰が前座の頃、楽屋で聞いた志ん朝と小三治の会話がまた物凄い!ホント、同じ空気を吸ったというのは素晴らしい財産ですよね。

この本の後に、大友浩さんの『噺家ライバル物語』も期待して読んだのだが、全くの期待はずれ。引用が全体の半分あるんじゃないのかと思うほどに多い! それもその多くは落語が好きな人だったら既に読んでいるような本からの引用ばかり。そして、わざわざライバルと対立させて構成する意味を感じなかった。さらに、著者の以前の著書で志ん朝の脱糞事件に言及しなかったことへの言い訳みたいなことを書いているが、端無くもそのことが証明するように、全体として綺麗ごとに終始しているように感じられ、堀井さんのように著者の肌触りが感じられなかった。

しかし、これから刊行される予定の三冊の堀井さんの本、早く読みたいなぁ!

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2008.11.08

子米朝

桂米團治=ポプラ社
正直、この本の感想を書くつもりはなかったのだけれど、先日放映された米團治の襲名披露口上の様子を観たものだから、ちょっと書いてみようと思った。TVの内容は本に書かれたものと殆ど同じと言ってもよかった。本を読んでいたから、テレビの内容もよく判ったといえるし、テレビを観たから本も面白くなったとも言える。本単独では、さほど面白いとは言えない物足りなさがあった。本で、米團治は、自身のことを盛んに“甘い、甘い”と言っているのだけれど、それは単にテレなのかなとも思われもしたのだが、やはり甘いのかもしれない。その辺の甘いのか、甘くないのかどっちつかずの中途半端さが、本にはあったと思う。テレビを観てその辺の中途半端さが少しはクッキリとしたとも言えるかもしれない。ある意味、TVと本との見事なタイアップなのかな。
ところで、テレビで放映された「百年目」、これは酷かった。なんともバタバタと落ち着かない高座だった。番頭が番頭ではないんですよね。米朝から番頭の格というようなものを教わったとも思うのだが、それが生かされていない。比べるのは酷かもしれないけれど、米團治と大体同じ年齢で口演した『上方落語全集』の「百年目」は、骨格もしっかりしていて、後の物とも違い、力強い若さもある「百年目」。米團治のは、喋っているのは「百年目」だけど、演っているのは「七段目」という感じだった。
しかし、本の中で“関西どないかせんと”と意気込んでいる米團治だから、きっと自身の芸も変わっていくでしょう。

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2008.10.12

落語の名作100

金原亭馬生(十一代目)=日本文芸社
本のほうには興味はなく、附録のCDを聴いてみようと思い借りたのだが、CDに収録されている「笠碁」が滅法面白い。当代馬生のすっとぼけた可笑しさが素晴らしい。
同じ「笠碁」をSONYからも出しているのだが、それよりもこちらの方が格段に面白いのだ。マクラが、SONYのものより幾らか長いけれど、本題は殆ど変わらない。しかし、マクラの、碁会所で碁を打っている客とそれを冷やかす客とにしても、本題の近江屋と相模屋にしても、SONYの方はそれぞれが馬生が演じている役者なのだが、こちらの方は、もう馬生は存在しないんですよね。SONYの方は、台本の読み合わせのような感じがするのだけれど、こちらの方は何回も公演を重ねた芝居を観るかのようなのです。SONYの方の収録が1999年。こちらの方が2006年。成程、それも致し方ないですかね。とにかく、雰囲気が違うのです。
ただ、このCD、惜しいかな、雑音が一箇所入っています。

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2008.06.08

人生、成り行き―談志一代記―

立川談志=新潮社
誰かが、どこかで言っていたのですが、一流の幇間は客を前にして殆ど何も喋らないそうです。ただ相槌を打ち相手が話すのに任せる、そして、時折の一言で相手がますます話したくなるように持っていくそうです。そういう意味では、この本における談志の聞き手、吉川さんには、幇間芸の極致を見せてもらった思いです。ただ、ところどころ、ここまで言うか、と鼻白む箇所が無きにしも非ずですが、談志は本当に気持ちよく喋っています。
私は、談志の本をそれほど読んではいないので、あるいはどこかでもう談志が語ったり書いたりしているのかもしれませんが、志ん朝と圓楽が、そして、馬風と小三治が仲が悪いということを、この本で初めて知りました。志ん朝は、圓楽がヘタだから嫌ったそうです。圓楽は、志ん朝を七光りと思い嫌ったそうです。しかしながら、このほかのことは、もう既に談志自身が、どこかで書いたり話したりしたことの繰り返しでした。志ん朝、圓楽等のことも、熱心な談志ファンの方なら疾うに御存知のことかもしれません。ましてや最近は、TVなどでも談志は大いに語っていますからね。そういう意味では、協会脱退事件のことなど、もっと詳しく語って欲しかったですね。政治家時代のエピソードはなかなか面白かったですけれど、これも知っている人は知っている事かもしれません。
最後、第十回の項では志の輔も加わっているのですが、これまで見事な幇間芸を披露していた吉川さんが、志の輔には態度を豹変するのですね。ちょっと傲慢な態度になるのです。ここまで変わるのかというくらいに。“嘘と隠し事とは違うんだよ、志のさん”と言ったり、“録音マイクを触るなよ(笑)”と言ったり。談志も認めている志の輔の力量。志の輔、“なんだ、こいつ、何様だ”と腹わたが煮えくり返っていたのではないでしょうか。
面白さでは、『赤めだか』の方に断然軍配を挙げます。

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2008.05.18

赤めだか

立川談春=扶桑社
談春は好きではないけれど、談志のエピソードが聴きたくて読んでみる。読んで、その文章の達者なことに驚く。客観・主観ともに見事に描き切る。アイロニーもあり、場面場面の描写も的確。ホント、頁を捲るのももどかしいという感じで読みました。しかし、これ、本当に談春が筆を執ったのかしら?談春が「談春」に“オレ”とか“ボク”とかのルビを振るという小賢しい真似をするだろうか?ま、それはともかくとして、談志のエピソードが好きな人には堪らない一冊かもしれません。また、文字助のエピソードも爆笑モノ!電車で読んでいて、笑いをこらえるのに必死。
談春の、入門から真打になるまでの事が、八話に渉って書かれており、二つの特別篇が付いている。しかし、この特別篇は余計だった。文の調子も違っている。せっかくのいいリズムがこの二編で損なわれている。こんなことに頁を割くくらいなら、本編でもっと談志の、文字助の、前座仲間のエピソードを書いて欲しかった。
とは言いながらも、特別篇で言及されている米朝の「除夜の雪」を聴きたいなと思ったら、幸いなことに偶々手元にあったので、それを聴いてみた。確かに、暗い噺だが、前半の珍念の抜け目無さが笑える所か。しかし、談春のそれを、わざわざ聴こうとは思わないが。
『人生、成り行き 談志一代記』なるものが、まもなく刊行されるようだが、この『赤めだか』、この談志本の露払いの役目も果たしているのかもしれない。

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2008.05.06

志ん朝と上方

岡本和明=アスペクト
この著者(というか編者というか、あるいは企画者というか)の『よってたかって古今亭志ん朝』『まわりまわって古今亭志ん朝』、そしてこの本を読んでの極めて大雑把な感想は、志ん朝という人は孤独な人だったんだな、ということです。志ん朝に接した人は誰一人として志ん朝を悪く言う人はいない。そして、自分が受けた志ん朝の言葉を、また自分が志ん朝と共に共有した時間を、自分だけが受けた他の者は共有できなかった有難い経験だと思う。しかし、志ん朝は、己が発する言葉が己が為す行為が己と接する人にどのような影響を及ぼすか自覚するがために、どんな場所でもどんな人にでも、同様な平等な接し方をしたのではないだろうか。そうやって形成された周囲の志ん朝像を損ねる行為は慎むことになっただろう。そうすると、やはり自然に孤独になっていったんではなかろうか。例えば、喜多八が、金馬が、泥酔した志ん朝を語ってはいるが、そういうことは本当に稀だったんではないだろうか(いや、あるいはこれもまた皆に平等な行為だったかもしれない)。私が想うに、唯一、志ん朝の素の姿を観たのは、志ん朝の側で長いこと前座的仕事をやったという志ん上だったのではないだろうか。そういう意味でも、志ん上の話を聞いてみたい。
こうは書いたけれど、全体としては可笑しくって哀しい本だ。内海英華が聴いた、“というようなわけで…”という言葉(詳しくは本書を読んでください)も、可笑しくって、私も使わせてもらおうと思った次第。
この本の最後に「志ん朝とカミガタ」という項があるのだが、カミガタというのは、髪型を上方とかけてのシャレで、志ん朝がよく通ったという幼馴染の床屋さんの想い出話。前にも言ったことだが、志ん朝を語れば志ん生を語ることになる。この床屋は、先代の時から志ん生も通っていて、なんと、あの志ん生の髪型は、坊主ではなく角刈りだったそうだ!真実とすれば、地動説に勝るとも劣らない驚天動地の事実だ。
アスペクトは、相変わらず校正が杜撰。なぜ文春から書名も統一して三部作として出版しなかったのだろうか?

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2008.04.12

談志狂時代

立川談幸=うなぎ書房
春風亭柳桜の『不死身の落語家』のなかで、足を切断した柳桜が、こんな身体だと皆に迷惑をかけるからという理由で会を抜けると言うと、談幸は“足切ったって喋れるんでしょ、落語。だったら待ってるよ”と言ったというエピソードを読んだときから、談幸という噺家が気になっていた。この本を読んでみて、成程、そういう言葉を掛ける、そういう人だと判った。“鳴かず飛ばずも芸のうち”という言葉を真打になった時に、師匠談志から貰ったという談幸は、「待てば海路の日和あり」「急がばまわれ」「果報は寝て待て」という言葉が自分に合っているとも言う。談幸の真打昇進の挨拶の中で、談志をして談幸は“完璧”な弟子だったと言わしめている。そして、唯一、談志の内弟子でもあった。そしてまた師匠をこれほどまでに愛した弟子もいないのではないだろうか。この本を読むと、師弟の相思相愛が随所に読み取れるのです。
いい人だからといって、いい落語が出来るとは限らないだろう。しかし、私は、少なくとも、いい人ではない噺家の落語を聴こうとは思わない。談幸の高座を機会があれば是非聴きたいものだ。また、志ん朝の告別式を終えて、家に戻って志ん朝の追悼番組を見終わった途端に、自然に涙が流れ出し嗚咽が止まらなかったという談幸の思い出話も、その談幸の人柄と相俟って、私もまた涙が滲んできた。
余談だが、おわりにの項に“立川流 師の悪口で 飯を喰い”という句を書いているのだが、これは本当にそうですね。例えば、落語研究会などで、立川流の噺家を聴くと、必ず談志の話題をマクラにする。そして、それが長い!早く落語をやれ!と言いたくなるのだ。まあ、私も談志のエピソードは嫌いではないので楽しむことは楽しむのだが、太田光などが、どう力説しても今の私にはまだ談志の落語の良さが判りません。これは、永遠に判らないのか?いつか判る時が来るのか?

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2008.03.01

本日、東京ロマンチカ

中野翠=毎日新聞社
恒例の、中野翠さんが『サンデー毎日』に連載しているコラムを一冊にまとめたこの本を読んでいると、次のような箇所があった。

 私が落語に目ざめ、古典落語のカセットテープをがつがつと聴くようになったのは一九八六年からのことだったが、そういう中でフッと『滝田ゆう落語劇場』(当時は文春文庫、今ほちくま文庫)という本があることに気づいた。
 読んでビックリ。すばらしい。それぞれの噺のストーリーやクスグリだけじやない、空気とか気分がとてもよく出ているのだ。(以下、略)

『滝田ゆう落語劇場』のことは、私も以前にこのブログに書いていて、そのトーンが引用した中野さんの文章とどことなく似通っているので、“中野さん、駄目ですよ!真似しちゃ”と冗談に思ったりしたが、このコラムが『サンデー毎日』に載ったのは、2007年1月7・14日号だから、勿論、そんな訳はないのだ。しかし、なんとなく、嬉しい。
また、同じ事を言うことになるのだけれど、『滝田ゆう落語劇場』のの空気の描写力は本当に素晴らしいのです。
しかしながら、これも繰言ですが、大須演芸場での志ん朝の高座の報告を読むことが出来なくなった一抹の寂しさは、どうしようもありません。

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2008.01.20

志ん生全席 落語事典

保田武宏=大和書房
この本の予告が出たときから楽しみにしていて、出版されたら即オンライン書店で購入しようと思っていたのだが、いや、やはり現物を見てからだと思い直し、東京堂書店で立ち読みする。この本、志ん生が残した噺のうち市販されているCD、DVDを演目別、音源別に紹介したものだが、最初の『あくび指南』の項で、この演目のCDも数多く出ているが、音源は①1956年8月5日にNHKで放送されたものと、②1958年7月17日にニッポン放送でオンエアされたものとの二種類で、出来は②のほうが良く、しかも、同じ音源でもポニーキャニオンから出ている「名演大全集」のほうのものは小言指南所のマクラがカットされていて、それがカットされていないのは、一枚物ではすでに廃盤となっているコロムビアの「蔵出しベスト落語」である、と述べられている。いきなり、こう書かれたら、即購入でした。映画ファンも、やはり、ディレクターズカット版が出たら新たに観てみたくなるように、音楽ファンも、フルトヴェングラーの足音入りバイロイトの第九が出たら聴いてみたくなるように(これは、半分冗談です。しかし、最近、フルトヴェングラーのフィギィア付きなんて物まで出ました)、やはり、志ん生ファンなら、マクラも完璧に入った物を聴きたくなるでしょう。また、二番目の『麻のれん』の項では、現在ポニーキャニオンから出ている「名演大全集」では、この演目は収録されていない、と記されている。保田さんは、差別問題に配慮して入れなかったのだろうかと推測されているが、これは、しかしこのポニーキャニオンの以前のシリーズ「名演集」には収録されていたそうである。私のsonicstageに保存している演目を調べてみると確かに『麻のれん』は入っていなかった!早速、「名演集」を図書館で借りてこなければなるまい。
昨日、購入してパラパラと見てみただけなのだが、こんなに刺激的。読むのも勿論面白いが、一読の後は、タイトルにもあるように、また保田さんもまえがきで述べられているように事典としても重宝するだろう。志ん生ファンにとってはバイブルともなる一書と言えるかもしれない。

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2007.10.01

真景累ヶ淵

三遊亭圓朝=岩波書店
遅まきながら読了。なんたる因果応報の物語!豊志賀の所だけ聴いていたのでは判らない身の毛もよだつような因縁。新五郎とお園、新吉と豊志賀。新吉とお久。新吉とお累。腹違いの新吉とお賤。種違いのお賤と甚蔵。そして幾つもの血を吸った鎌。全体を読み終えたあとに聴く「豊志賀の死」の格別の面白さ!新吉の性根というものを把握して聴くと、その一つ一つの言動が了解できます。
私は、この速記本が不変の経典のようなものとして存在するのかと思っていたが、そうではないのですね。各演者がそれぞれに工夫して口演しているのですね。たとえば、新吉が豊志賀の家に手伝いとして寝泊りするようになる所は、圓生のCDでは、女中が病気のためいなくなり、手が足りなくなった豊志賀にその弟子たちが新吉を推薦するというものなのだが、速記本では、“其中に手少なだから私の家に居て手伝って”とあるのみなのです。
このことは、私が読んだ新日本古典文学大系明治篇のなかの一冊『落語怪談咄集』の延広真治氏の校注で知ったのだが、この延広さんの注、どのレベルの読者を念頭に置いているのか判らないが、こんなことまで注として記さなくともよいのではと思われることまで事細かく書いてある。そのために通読するのにかなり煩瑣なことは否めない。しかし、その中には基本的事項として知っておいた方がいいものもあるので、一度この本を通読した後は、文庫本で楽しんだ方がよいかもしれない。
私にとっての基本的事項として知ったことは、この長い噺が九十七席に分かれているのだが、この席というのは新聞に掲載された一回分だとの事であり、一回の高座の区切ではないという事。まだ他にもありますが、そういう事どもを知るためにもこの本の注は有意義ではありました。

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2007.08.21

江戸吉原図聚

三谷一馬=中央公論新社
これはまた凄い本である。『明治吉原細見記』も凄い本だったが、それに輪をかけて凄い本。著者が<はじめに>の冒頭で“本図聚は、江戸吉原のすべてを絵によって再現しようとしたものです”と述べているが、その言葉が全てを物語っている。“本図聚及び附録の三百枚近い絵は、すべて当時の版画類や黄表紙、人情本、洒落本、滑稽本、読本、草双紙などの挿絵類から”著者が復元したものであり、その全てが私にとって驚きであり有益であった。だから、どこかを引用してここが素晴らしいとかは言えない。とにかく全てが素晴らしいのだ。
この本は、はじめ立風書房から出ていたものを限定八百部で復刻出版したものの内の第二十二番目。値段も五万五千円。立派な本である。本冊の絵と、別冊の解説書、附録とに分かれているのだが、本冊がなかなか重く、解説書の文とを交互に読み進めていくのはなかなか大変だった。寝転がって読むというわけにはいかなかった。読み終わって、レファレンスブックとして必要だと思い、どうやら、文庫でも出ているようなので、神保町の大型書店を探してみたが在庫がなかったので、オンライン書店で注文した。届いた文庫版をパラパラと見てみると、やはり版型が小さい分、図が小さくなって見難い欠点はあるがハンディであることは間違いない。ただ、解説書の中に描かれていたカット類が文庫版では省かれているものがあるようだ。
この本を読んでいたお陰で、馬石の噺もより一層楽しめた。新吉原を解説したこの本は、郭噺を聞く際には必携の書物だと思う。
あぁ、私も紙花を散らしてみたい。

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2007.08.09

まわりまわって古今亭志ん朝

志ん朝の仲間たち=文藝春秋
構成が岡本和明となっているので、前の一件もあり一寸心配だったが、さすが文藝春秋さん、校正ミスはほとんど見られなかった。やはり、出版社、編集者の力量の違いですかね。しかし、これが当たり前と言えば当たり前なのだが。まぁ、あの本が酷すぎた。ただ、267頁の3行目の橘圓蔵は橘圓蔵の間違いだろう。
この本は、前作『よってたかって古今亭志ん朝』の姉妹書といえるかもしれない。前作が弟子たちが語った志ん朝像なら、こちらは、朝太時代を知る人々が語った志ん朝像。とはいっても、それは、馬風文楽小勝さん吉の同期の仲間による座談会だけであり、あとの章は志ん朝になってからのものだ。
座談会は、いろいろとはじめて知ったエピソードも沢山あって楽しく読めた。馬風は、寄席に入った日が志ん朝と同じ日で全くの同期なんですね。また、文楽が語るエピソードなどホント爆笑モノ。

 文楽 ある年の正月。これもすごかった。七草も過ぎたから(吉原へでも行こうかな……)と思って、
「兄さん、行かない?」
って誘ったら、
「あんちゃん、まだ行ってないの?」(笑)
「まだ、行ってないけど……」
「駄目だよ、そういうところへは、三が日の内にご挨拶に行かなくちゃ」(爆笑)
って言うから、思わず、
「好きだねえっ」
て言っちゃった。律儀だよね、三が日の間にちゃんと行ってるんだから。

また、楽屋ではあまり働かないで大きな鼾をかいてよく寝ていたというエピソードはどこかで言われていることかもしれないが、小勝が語る仲間への気遣い心配りなどは泣かせるエピソードです。
若手の噺家達が思い出を語っている章では、馬石の話がとても面白かった。たい平も語っているのだが、たい平のものはもう既にあちこちで語ったり、書いたりしているものがほとんど。それにあざとく感じる部分もなきにしもあらず。ただ、有名なたい平が書いたイラストで志ん朝の旅のお供をしたときのカバンを幾つもぶら下げたものがあるのだが、それを写真で観ることができたのは嬉しい。馬石も、よく志ん朝のお供で旅をしたそうだが、それよりも面白いのは二つ目勉強会でのエピソード。この会は、希望すればいつでも出ることができたそうで、馬石は、なんと、志ん朝の前で「船徳」「幾代餅」「居残り佐平次」を演ったそうだ。そして、「居残り佐平次」を演ったときには、“もう二度と演るな” と言われたとか。さすがに「文七元結」は演らなかったそうだが、しかし、まだ志ん朝が生きていたら演ったと思う、と語っている。さすが馬石、その心意気や良し。
大須演芸場席亭の足立秀夫さんの語る話も実に面白い。志ん朝三夜にまつわる思い出話は興味が尽きない。これは、もう手にとって全文をお読み下さいというより他にありません。
最後に、元マネージャーの前島達男さんが言っているように志ん生、志ん朝は落語界の永久欠番ですね。

ところで話は変わりますが、この本でも文楽が、ひな太郎が自分の弟子になった経緯をチラと語っているのだが、ひな太郎が志ん朝の所を一身上の都合で止めた理由の一つには、たい平も述べているように志ん上(ひな太郎)の下が入ってこなくてずーっと前座みたいな処遇を受けていたということもあるのだろうか。

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2007.07.24

明治吉原細見記

斎藤真一=河出書房新社
「山崎屋」を聴くと必ず吉原細見という言葉が出てくる。で、どんな本だろうと図書館で検索して一覧にあったのがこの本。『吉原細見』という本が今はもうあるわけではないのですね。『吉原細見』というものは、吉原の楼とそこにいる娼妓を格付けしたものの一覧を小冊子にしたものだそうで、この本によってそれがどんなものなのか初めて見ることができました。それぞれの楼を大見世(■)、中見世(▲)、小見世(◐)と格付けし、これも噺に出てくる入り山形のマークが頭に付されてその値段が明記された娼妓の一覧。各楼の遣り手の名もしっかりと記されています。こういうものなのかとこれで判然としました。またこの本には、著者が書いた吉原の郭内の地図が書かれていて、これで吉原の全体像を把握することができました。お歯黒溝、羅生門河岸、山谷堀、日本堤、大門、五十間道、江戸町、揚屋町、角町、京町、仲之町。
この本は、画家でもある著者の母の養母が吉原の娼妓だったということから、『吉原細見』を収集し始めてその跡をたどり、それとともに対象となる明治の吉原を著者がイメージしたものを絵として記録したものである。だから、江戸時代の吉原とは異なる所もあるのだろう。しかし、掲載された多くの絵によって大体のイメージも知ることができる。先に記した『吉原手引草』では、江戸の吉原の雰囲気を知ることができたが、この本では明治の吉原の地理的というか物理的というか、そういうものを知ることができた。
この本と同じ著者の『吉原炎上』とを原作としたのが映画『吉原炎上』だというので、レンタルして観てみたが中庭があることとか、遣り手がどこに座っているのかとを知ることができた。また、花魁道中の場面もあったのだが、この場面は時間が短くて、もっと長く観たいと思ったものだ。張見世の前で客引きをやっている若い衆の役を左とん平がやっていたが、いつも落語で聴く調子とちょっと違う。落語で聴くのはもっと軽薄そうでほんと調子が良さそうなのだが、とん平のはなんとなく生真面目。どっちが本当なんだろう。
いままでぼんやりとして判然と認識できていなかったのだが、娼妓と芸妓とは違うものなんですね。この本には、多くの娼妓、芸妓の絵も描かれているのだが、私が一番惹かれたのは、仲之町芸妓の小せんでした。なんと美しい絵姿でしょうか!私、清蔵になりました。

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2007.07.12

志ん生、語る。

岡本和明=アスペクト
実に雑な作りの本である。誤植というより、校正ミスが多いのである。印刷は天下の大日本印刷がやっているのだが、その責は編集者、著者(と言えるかどうか?)にあると思う。一番酷い所は次の箇所。

 今は父も馬生も志ん朝も死んじゃったけど、私は志ん朝が志ん生を襲名するまで死ねないって思ってるの。これは母との約束だったから。(39頁)

この美濃部美津子さんが語った項は、1994年3月の日付が付いているのだから、志ん朝が死んでいるなんてありえない。編集者が今の時点で、その部分だけを読んで志ん朝も加えたのではないだろうか?オリジナルの原稿に入っていたとは思えないし。何故、こんなことになるのかどう考えても判らない。
次の箇所も笑える。「お直し」が「お色直し」となっている。

 この噺を単に“廓噺”と思って演じると、演じきるのはなかなかむずかしい。この『お色直し』という噺は“人情噺”であり、志ん生も人情噺として演じている。(221頁)

次は単純なミス。句点となるべきところが読点になっている。

“羅生門河岸”の名前の由来は、源頼光の家来の一人、渡辺綱が羅生門の鬼の片腕を切り落としたという故事にもとづいている
 こうした場所で働くのは小見世を食いつめたような女郎しかいない。そのため、女郎の年齢も三十を過ぎた女がほとんどで、中には五十を越えた女郎もいたというから、どんな場所かおおよその見当はつく。(224頁)

次はよく意味が判らないのだが、“糸の兄”は、“糸の先”の間違いではなかろうか?恐らく、OCRの判読エラーではないのだろうか?

 その金魚屋でたまに金魚を買ってきて、釣りをするんですよ。師匠の家に瓢箪池があったね、師匠が、
「釣りをやるぞっ」
 って言うと、
「へい」
 つて、僕が糸の兄にオマンマ粒をくっつけてね、金魚のいるところへそれを持っていくんですよ。金魚だって目の前に食い物がくるんだから、パクって食いつく。で、ウキが沈むと師匠が、
「釣れたっ、釣れたっ」(108頁)

これは、私が“鉄の輪まわし”という言葉を知らないだけだと思うのだが、こうもミスが多いとあるいはこれもミスなのかなと勘ぐってしまう。“鉄の輪まわし”ってどういう意味なのだろうか。

 業平へ行った時は、オヤジさんは本当に失業状態でしたから。どこも使ってくれなくなっちやつて、鉄の輪まわしに行ってみたけど、体がなまっちゃってるから駄目だって。(48頁)

まぁ、以上のようにこれだけ(他にもあり)誤植、校正ミスが頻出すると読む気がしなくなる。内容も、『これが志ん生だ!』の月報の再録である。初出の時点で、馬生なぞは、これまでと同じことを何度も尋ねられてもうウンザリしている様子がありありと窺がえる。弟子たちも、尋ねられてやむなく答えるのだろうが、何度も同じことを聞かれているうちに、その答えも微妙にその内容が違ってくる。それは弟子たちの責任ではないだろう。ハイエナのようにもっと違う話はないか、もっと面白い話はないか、と食い付いて離れない人達にかかればそうなるのだろう。
しかし、あえて善意に解せば、落語ファンなるものも新陳代謝していくのだから、そのたびに新しい書籍が出てくるのを全て否定することは出来ない。私も、林家こん平の話などは始めて読むし、楽しく読めた。また、志ん生に女性の弟子がいたことも初めて知った。しかし、それにしてもである。
なお、この本、付録としてCDが付いている。「小咄」「お直し」「疝気の虫」。「疝気の虫」は、ポニーキャニオンの『名演大全集』と同じもの。「お直し」は収録日を明記していないが病後録音のものと思われ、これも既出のものだろう。唯一、「小咄」が初出で、著者はお為ごかしにこれを読者へのプレゼントだと言っている。だいたい、『志ん生、語る。』と銘打っているけれど、志ん生が語っているのは、僅か6頁。なんだか、その初出の10分程の「小咄」を聴くためにだけ大枚2000円を読者は払うような感じだ。

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2007.07.08

高座

橘蓮二=河出書房新社
この写真集、諸方面へ配慮をしているような、そうでないような。
暇に任せて、それぞれの写真がその大小は問わないで何葉収められているのか数えてみた。以下の通り。

立川談志=12林家たい平=2、古今亭志ん輔=1、林家二楽=1、林家木久蔵=1、神田山陽=2、東京ボーイズ=1、柳家さん喬=2、林家正楽=1、鏡味仙三郎=1、春風亭一朝=1、春風亭小朝=3、翁家和楽・小楽=1、三増紋之助=1、春風亭昇太=10、林家彦いち=1、春風亭正朝=1、古今亭菊之丞=1、ベベ桜井=1、笑福亭鶴瓶=5、笑福亭仁鶴=1、桂三枝=2、三遊亭小円歌=1、玉川スミ=1、三遊亭圓丈=1、五街道雲助=1、鈴々舎馬桜=1、立川談春=10ニューマリオネット=2、柳貴家小雪=1、立川文都=1、立川笑志=1、立川談笑=1、立川志らく=1、林家正雀=1、柳家花緑=2、桂文楽=1、昔々亭桃太郎=1、桂歌丸=1、三遊亭圓楽=3、三遊亭好楽=1、三遊亭楽太郎=1、三遊亭全楽=1、柳家紫文=1、鏡味正二郎=1、瀧川鯉昇=1、桂小米朝=1、桂米朝=3、入船亭扇辰=1、柳亭市馬=2柳家小三治=11、柳家小さん=1、五明楼玉の輔=1、柳家権太郎=1、柳家喜多八=1、入船亭扇橋=1、柳家三三=1、三遊亭圓歌=1、鈴々舎馬風=1、三遊亭小遊三=2、ナポレオンズ=1、古今亭圓菊=1、古今亭志ん五=1、桂南喬=1、川柳川柳=1、三遊亭白鳥=1、柳家喬太郎=7、古今亭志ん橋=1、三遊亭歌武蔵=1、三遊亭遊雀=1、入船亭扇遊=1、三遊亭歌之介=1、昭和のいる・こいる=2あした順子・ひろし=2、春風亭小柳枝=1、橘家圓太郎=1、ボンボンブラザース=1、アサダ二世=1、林家正蔵=1、立川志の輔=11
=10以上、=5~9、=2~4。

立川流の突出ぶりが目立つ。なんだか、今年のオールスターゲームに大挙ファン選出された楽天のようだ。この写真集の帯も書いたという談志はまだしも、志の輔、談春が多くの写真。そしてその他。橘氏、立川流と親密な関係なのかな?それはともかく、立川流のファンの方にはお宝写真集かもしれない。
やはり、私が一番気に入ったのは、小三治の写真。作為というものが全く感じられない。そして、匂い立つような噺家の佇まい。また、高座でよく目にする「野晒し」での釣り針を鼻に引っ掛けた図がアップで観られるのも嬉しい。
遊雀の写真、遊雀になってからのものだろうか?最近は、こういう髪型をしているのか。私が観ていた頃の三太楼は、短髪で白髪が目立っていたものだ。心機一転、髪形も変えたのだろうか。
あとがきにもあるが、この高価(5670円!)な写真集が出版されたことを橘氏は感謝している。ちょっと穿った見方をすれば、このところの落語関係の過去の物を寄せ集めて出版している河出書房新社、かなり利益を上げているのかもしれない。この河出のオリジナルな写真集、あと何年後かには、あるいは吉川潮氏あたりが解説を担当して、ただでさえ値が高い河出文庫として、文庫とは思えない値段で出版されるのかもしれない。
わがままな注文を一つ言わせてもらえば、、各写真の撮影場所をキャプションとして付けて欲しかった。

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2007.06.05

寄席の人たち

秋山真志=創美社
この本の奥付を見ると、発行所は創美社、発売所は集英社となっている。普通、書籍の表紙に記されるのは発行所の名ではないのだろうか。ネームバリューを重視して集英社としたのだろうか。
著者の着眼点が良くて、寄席を賑わすいろんな種類の芸人たちにスポットをあてている。基本的に面白く読んだのだが、惜しむらくは、各章に各々その芸の歴史を述べている項目を設けていて、それが読書のリズムを乱してしまうのだ。せっかく、各芸人の越し方行く末を語っているのに、色合いの違う歴史書を読まされているようで興醒めした。どうしても、その歴史を書きたいのなら、別の一書にして欲しかった。しかし、その類の本はもう幾冊も出ている。
この本を読んで、寄席の力というか、寄席に出ることによって、いかに有形無形のものを得ることができるかということを、知ることが出来た。ここに紹介された多くの芸人がそう語っている。そう思うと、巷で評判の落語家は何人かはいても、やはり、立川流、圓楽党には何かが足りないのかもしれない。
小円歌が、高座でよく話している、圓歌に騙されてこの世界に入ったと言うのは、本当なんですね。圓歌の奥さんが入院してから亡くなる頃に、小円歌は圓歌にスカウトされたそうだが、そのあとに入門した歌る多と二人でその当時の圓歌の面倒を看ることになったそうだ。小円歌は、それから暫くは、騙されたという思いを引きずったままこの世界に身を置いていたという。だから、その当時からこの三味線漫談という芸に真剣になって精進していたら、私の芸も今とは比べるべくもないほどに向上していただろうという。しかし、勿論、今は師匠圓歌に感謝しているという。
この小円歌が日本舞踊を習い始めたのが六歳の六月六日だというのだが、あした順子も日本舞踊を習っていて、これもその始めは、六歳の六月六日。何か意味があるのだろうか。そういう決まりごとでもあるのだろうか。単なる偶然ではないでしょうね。
あした順子・ひろし(以前はあしたひろし・順子と表記されていたと思ったが今はあした順子・ひろしなのだろうか)の若い頃の写真も見物だが、なんと順子は、女子プロレスにも出たことがあるらしく、そのときに覚えた首投げが大いに漫才をやる再に役に立ったという。
正楽の章も、高座で見る正楽をそのまま髣髴させるいい文章で、思わず涙ぐんだりする。各芸人のエピソードも豊富で楽しく読めた。もっと、読みたいと思ったものだ。だから、なおさら、余計な文章は省いて、一つのトーンに統一して欲しかった。残念です。

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2007.05.28

吉原手引草

松井今朝子=幻冬舎
この本、直接には落語には関係はないが郭噺を聴く場合には大変に有益な一書。浅草界隈を散策することによっておおよその土地勘が判るように、この本を読むことによって吉原の雰囲気を味わうことが出来る。言葉にもルビが適宜振られているので、その用語の読みも知ることが出来るし、その意味も知ることが出来る。
花魁と寝るために新調する夜具がおよそ五十両、それを敷く手間賃もまた払う。そして、年季が明ける前の根曳きは千両もの金がかかる(だから、皆、年季が明くのを待っているのですね)。また、花魁が見世から頂戴しているのは朝夕のおまんまと行灯の油だけで、部屋の調度から蝋燭代、そして火鉢の炭代に至るまで全て自分持ちだという。それから、田舎侍のことを浅葱裏あるいは新五左と呼ぶとか、そういう諸々のことを知ることができる。あるいは、幇間が言う“若旦那は神馬だ。尾も白えや”という言葉もどこかで使ってみたい。
勿論、物語としての面白さも格別。私が好きなのは女芸者大黒屋鶴次の弁。鶴次が語る、ルームメイトの亀代との仲は、人の淋しさ哀しさがそこはかとなく感じられます。
『仲蔵狂乱』以来久々に読んだ松井さんの本は、やはり面白かった。

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2007.05.23

師匠噺

浜美雪=河出書房新社
このところ河出書房新社から落語関連の書籍が数多く出版されているが、それらは大半が過去に出版されたものの焼き直しか寄せ集めだった。しかし、この本は比較的最近に書かれたもののようで鮮度は新しいようだ。ところで、浜美雪さん、女性かと思ったが男性ですよね。
私も以前から不思議に思っていたことだが、噺家さんは師匠からは稽古というものはほとんどしてもらっていない、ということをよく話すのだけれど、それがなぜだか判らなかった。この疑問が、この本を読んで幾らか納得できた。それは、小朝言うところの“師匠の芸よりも主義(イズム)や、物の見方を継承している”“だって、落語は誰にでも教えていただけ”るということなのだろう。
喬太郎は、比較的、さん喬から稽古をしてもらったそうだ。しかし、たとえば、「初天神」などは、“お前の「初天神」には雑踏が出てない”と何度もダメだと言われたらしい。また、“嫌いなものは何だ?”と聞かれ、“納豆がだめです”と答えるとおかみさんと三人で買い物に行き、“今日の昼飯はこれな”といって納豆を買って食べさせられたらしい。
市馬は、二つ目になるときに小さんが難色を示したにもかかわらず強く希望してさん好という名にしたのだが、この名は、どうも、このところ馬風がマクラでよくする、馬風が前座の頃小さんとお上さんに金を盗んだと疑われたが、あとで疑いが晴れたという、その真犯人の名前だったようだ。市馬はその経緯をあとで知って小さんに謝ったが、“いいんだ、お前がいい名前にしてくれりゃ、それでいいんだ”と言われ、ボロボロ涙を流したとか。
喜多八は、最近、小三治をかわいいと思う。一門で北海道へ行ったとき、小三治はよほど嬉しかったらしく飲めないワインをグッと一気に飲んでへべれけになって喜多八に抱きついたらしい。その時の写真は喜多八の宝物だという。
鯉昇小柳枝との関係も凄まじい。師匠が師匠なら弟子も弟子。たまに鯉昇の高座で、その一端は聞いたことがあるが、その破滅型の小柳枝の凄まじさは半端じゃない。それにどこまでも就いて行く鯉昇。その理由を“本の知識で、噺家はいつ飢え死にしても仕方のない仕事だって思い込んでいたから”と語る。
ところで、噺家さんは意外と酒を飲まない人が多いようだ。有名な所では、小三治、扇橋、文朝。そして、この本で圓丈、市馬もそうだと知った。
この本、一服の清涼剤として時に涙しながら楽しく読んだ。ただ、冗談だとは思うが“うつくしい日本”という言葉をたびたび書いていて、これらの師弟関係から現在の日本の親子関係、家族の有り様に言及しているのが、やや説教がましい気がする。そして、師弟関係でも、ここにある素晴らしいものだけではないだろうから、それらのいくつかをも載せてほしかった。たとえば、小さん=談志、権太楼=三太楼、今輔=歌丸など。また、著者も断ってはいるが、やはり、ないものねだりで枝雀=南光、馬生=雲助など良き思い出を語ってもらいたかった。
蛇足ながら、志の輔=談志の項は、『落語ファン倶楽部』に掲載されていたものとほとんど同じ内容だ。

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2007.05.20

噺家の手ぬぐい

五明楼玉の輔=日東書院
これは、好企画の一書。五明楼玉の輔を見直しました。自身の手拭も自らデザインしているのですが、なかなかのセンス。また、300点の手拭に添えている玉の輔のコメントもとても面白く、手拭とそのコメントによって各噺家の有り様の一端が窺がわれる気がします。各々の手拭もきれいに撮れていて、噺家手拭事典としても重宝。
先代の馬生が弟子たちの昇進時に描いた絵の数々が実に素晴らしい。絶筆と思われる駒三の馬、“鷲ですか?”と訊いて“馬鹿野郎、鷹に決まってるだろう”と言われた今松の鷹、雲助の富士を背景にした街道を行く馬と馬子、等々。
噺家の奥様の中には、書家とか陶芸家とか才能を持った方が多いのですね。志ん五の奥様も書家だそうで、志ん公の手拭の文字を書かれているそうですが、黒門亭の額の今川焼という文字、あれも奥様の手になるとか。
川柳川柳の手拭は噺家でも滅多に見られないそうで、つくしは、その日記の中で“もともと作っていないんじゃないか”と言ったような言わなかったような。幻の手拭、青地に大きくかわやなぎせんりゅうと白く抜いた文字。
さん喬は、使いやすいと評判がいい手拭を自身の高座では使っていないそうです。いつも、先代小さんのものを使っているそうです。何か力を与えてくれる気がするからとか。
小三治の手拭は奥様のデザインだそうで、美大出身だそうです。
私が欲しいなと思ったのは、馬石の手拭。山路紋を浅葱色で描いた隅田川を想わせる爽やかなデザイン。
春風亭小朝へのインタビューを読むと、噺家が手拭一つにもどれだけ心を砕いているかが判ります。噺に応じてどんな柄の手拭を選ぶか、女性客の心を掴むためにはどれがいいかとか。小朝は、男性客は眼中にないそうです。
一枚の手拭が出来るまでには幾つもの大変な工程があることを知りました。もう、安易に手拭を頂戴とは言えなくなりました。
あとがきで、この本の正しい使い方として玉の輔は二冊買うことを薦めているのですが、一冊は噺家のサイン用に、一冊は保存用にと。いいアイデアだとは思うのですが、お金に余裕のある方はどうぞ。

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2007.05.01

聞書き五代目古今亭今輔

山口正二=青蛙房
三代目小さんの弟子でもあったというから、小さんって、そう古い人でもないんだなと一瞬思ったりもしたが、そうではなくて、やはり今輔が古い人なんだろう。しかし、その今輔の話によってこれまで遠い伝説の人だった三代目小さんをぼんやりとではあるが認識することが出来た。漱石の言葉を介してのみ知っていた小さんについてこれほど多くの言葉で語られている本を私は初めて読んだ。
先代の正蔵と同様の頑固者ということに興味を持って読んだが、今輔は個人主義者だと思う。権威的なものに反発し、自分がやりたいことをやる。当時の圓楽である正蔵と革新派を作ったり、立って落語を演ったり、芸協の会長になってからは真打のワリの倍給廃止や前座の登録制を実施したり。
今輔は、批評家というものを全く相手にしない。古い田圃に出来た稲の良し悪しを語るばかりで新しい土地を開墾することの大変さがわかっていないからだ。また、批評家というものは、貶すにしろ褒めるにしろ評価の定まったものしか批評しようとしない、全くの新しいものを批評する勇気がない。こんな批評家には何を言っても無駄だという。寄席の客に受けるかどうかが一番大事なことだという。新作落語(この用語に関しても今輔は勿論否定的だ)の大変さが、このところ私も少しずつだが判りかけてきた。今聴くと古臭く思える今輔の落語も当時はとても良く受けていたのだろう。また、逆に言えば、今人気のある喬太郎や昇太の落語も少し時間が経てば古臭く思われるのだろうか。ほとんどが掛け捨てになるのが新作落語の宿命らしい。
今輔は、駆け出し上戸だったらしい。酒を飲むといきなり駆け出すそうだ。なんて愉快な所もあるんだと思ったが、著者によると、これは幼少の頃の体験から来る寂しさからの衝動だったらしい。頑固者であることは寂しくあることと表裏一体かもしれない。正蔵ともあることが原因で喧嘩別れをして以来死ぬまで窮屈な間柄だったらしい。
私の散漫な読み方が原因かもしれないが、この本、今輔の話のところと他の人々の証言の部分が混同して、いま読んでいる所が誰が言っているのか判らなくなってしまうところがある。

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2007.04.01

志ん生讃江

矢野誠一・編=河出書房新社
少し前に、これも同じ河出書房新社から、週刊誌などに載った志ん生の対談、インタビューなどを集めた『志ん生芸談』という本が出たが、正直、あまり戴けない物だった。この本も寄せ集めの感があり期待はしなかったのだが、幾つかは、いろいろなところで語られるエピソードのオリジナルに接することができた。例えば、金原亭馬生の<父・志ん生の人と芸>(『落語界』)。また、色川武大さんの『寄席放浪記』からの文章<志ん生と安全地帯>も載っているのだが、この文章などは何度読んでも微笑ましくもあり哀しくもある。そして、先日読んだ、『志ん生一代』の朝日文庫版の山田洋次さんの解説も載っている。これを読むと、山田さん、柴又の人に“寅さんのモデルは兵隊寅ですか”と聞かれた事があるそうだが、この本を読んで志ん生の無二の親友である兵隊寅の事を知ったという。しかし、平岡正明氏の文章はどうも馴染めない。書いてある事は面白そうなのだが、話が次から次へと飛んで訳が判らなくなってしまう。“俺”という一人称も馴染めないし。『大落語』も途中で諦めた。
面白い話を二つ。

鴨下 志ん生さんも生意気と言えば生意気なんですよ、あの芸は。だって、お辞儀しないんだもの。志ん生さんは、手をついてグラッとするだけ(笑)。一応手はつく。でも前につかないで横についてグラッとするだけ(笑)。

馬の助 落語研究会で『三軒長屋』のリレー落語をやって、師匠(おやじ)が上をやって、圓生師匠が下をやったンだけど、師匠(おやじ)がやってるのを圓生師匠が袖で聴いてるンだよ。だから「うちの師匠はまだおりませんよ」といったら「おたくの師匠は何をいうか判らないから」だって(笑)。地名やなんか違うと噺がつながらなくなるンだよ。で、そのあとで、圓生師匠が「ただいま志ん生さんが、こういうことをいいましたが、引っ越しを致しまして」って、しようがねえから引っ越しさせちゃった(笑)。

こういうことを言うと、モーツァルティアンに叱られるかもしれないが、この本もある意味では、“モーツァルトへの愛の告白書”『モーツァルト頌』と同じような本かもしれない。

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2007.03.30

志ん生の右手

矢野誠一=河出文庫
時折、同じ演題をいろいろな噺家のCDで聴き比べる。そして、こういうことをライブでも聴きたいものだと夢想する。同じようなことは誰しも思うものらしい。
小沢昭一に勧められて『國文学』や『新劇』などに書いた“ちょいカタメの、あまり商売気のある本屋さんにむかないもの”を集めて出した『落語は物語を捨てられるか』(新しい芸能研究室)を商売気のある河出書房新社から文庫で出したものがこの本。前のタイトルでは売れ行きの不安を感じて『志ん生の右手』としたのだろう。しかし、やはり、この本の通奏底音は『落語は物語を捨てられるか』に記されている“落語にとって物語とはなにか”ということであろう。著者が高校の頃、いろんなジャズバンドが「アゲイン」を競演したのを聴いたことがあり、落語でもいろんな噺家が例えば「寝床」を競演するということは叶わぬ夢だろうかと考えていたら、ある時、永六輔構成・演出で催された<六輔その世界>という会で毒蝮三太夫と柳家小三治が続けて「湯屋番」を演ったという。それなりに演じた毒蝮の後の小三治は、物語を奪われた噺をプロの技術をもって苦心して緊張しながら演じたという。今は、「湯屋番」は誰が演っても「湯屋番」であり、「湯屋番」を聴いても例えば“桂文楽のはなし”として聴くことは無理なのだろうかと著者は言っている。この文庫版では、小沢昭一と著者の指名ということで、現在の小三治が<解説にかえて>を書いている。小三治は、このときのことを覚えていて、面白いことに著者の想像とは違って、あの時は、永六輔の指示ではなく自分の決断でやったという。その時の客が“ショー”を観に来た客だと感じてやってみたという。“こんな客にまともな落語を聞かせられるかい”という思いからあえて“自殺行為”をやったのだと。この話、音符と言葉との違いがあると思うので一概には言えないだろうけれど、やはり、言葉を媒介とする落語の方がより困難だろうと思う。そして、確かに同じ「湯屋番」を聴かされるハメになるのかも知れないが、すくなくとも今の小三治は“小三治のはなし”を我々に演じてくれるだろうと思う。
この頃、著者は月に百枚ほど原稿を書いていたという。だからか、どうしても同じ文章が散見するのだが、それもやむをえないところか。そのなかで、初めて知った赤平事件についての文章<翫右衛門と赤平事件>は面白かった。前進座は、日本共産党と親密な関係があったのか。そうすると、山中貞雄なんかもそういうシンパシーはあったのだろうか。
この文庫の表紙と、同じ矢野さんが編んだ同じ出版社の『志ん生讃江』は同じ志ん生の写真が使われたまったく同一の表紙。これは、タイアップ商品ということでこういうことになったのだろうか?普通は、ありえないと思うが。
しかし、河出の文庫は値段が高い。
*261頁に寺尾昌晃とあるけれど平尾昌晃のことなのだろうか。

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2007.03.25

志ん生一代

結城昌治=朝日新聞社(昭和52年11月30日発行)
ようやく『志ん生一代』を読むことができました。多くの評者がこの本に言及されているので、早く読みたいと思っていましたが、今、出ている学陽書房の文庫は一冊が800円以上もするので二の足を踏んでいたのです。で、図書館で借りて読もうかと思い近くの図書館で借りたのですが、それはかなり古く、表紙に〔汚損アリ〕のシールが貼ってあるという代物で飲み物をこぼしたあとなどがあり、なかなか繙くまでに至らなかったのです。しかし、一旦、繙くとまさに巻を措くに能わずの面白さでして、一気に読んでしまいました。評伝だと思っていたのですが、そうではないのですね。そのことは、著者があとがきにも書いていますが、志ん生が有名になったのは40歳からで、また、志ん生自身も誤ったまま記憶していることが多く、伝記を書くことは無理だと判って諦めたそうです。しかし、出来る限り正確にと記したその内容は、志ん生の人間がくっきりと描き出された素晴らしくも面白い内容です。
その内容は、もう既に多くの書物に引用、言及されていますし、また、長年のベテランの落語愛好家の皆さんは当然に知っていることばかりでしょうが、遅れてきた落語聴きたる私には初めて知ることも多々ありました。例えば、以前、『寢ずの番』のところで記した疑問もこの本を読んで判明しました。満州から帰ってきた志ん生が一緒に銭湯に行ったまだ売れない長男の馬生に次のように言うのですね。

“まだ若えな。大きい薬罐は沸きが遅いんだ。焦ることはねえ。おれなんぞ、その年頃は円喬師匠の弟子になりたかったが断られて、天狗連でばたばたやっていた。はなし家は、ほかへ色眼なんかつかっちゃいけねえ。小鍋はじきに熱くなるが、さめるのもじきだからな”

あの場面で読んでいた本は、『志ん生一代』だったのですね。
あの志ん生が、嫁のリンを抱いたであろうと想像される箇所が二箇所あるのですが、辛い貧乏の生活が続く中で思わず微笑んでしまう場面です。
また、売れない時代に志ん生が火災保険の勧誘員をしたなどという驚天動地のエピソードも笑えますが、紀元2600年の行事に志ん生が生まれて初めて洋服(国民服)を着たという話も想像するだに面白いのですが、この時の場面を後の志ん朝も見ているのですね。志ん朝のCDシリーズ<志ん朝復活>の特典CD『志ん朝、父母を語る』のなかで語っているのですが、友達と遊んでいる強次の前を履いた靴のせいで歩きにくそうに歩いている志ん生は近所の人達の前を照れくさそうに笑いながら歩いていったそうです。ちなみに、このCDで、志ん朝は本当に重い口を開いているのですが、母親のことを話すときには次第に熱を帯びて来るのが判ります。
兵隊寅、羽織を贈ってくれた小西万之助らとの交友も涙なしでは読めません。この本、やはり、レファレンスブックとしても手元に置きたいなと思います。朝日文庫は、もうこの本の版権はないのでしょうか。文春かどこかで廉価な文庫を出版して欲しいものです。

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2007.02.19

滝田ゆう落語劇場

滝田ゆう=ちくま文庫
滝田ゆうの漫画を見るのは、本当に何年ぶりだろう!『寺島町奇譚』以来か?今、ちくま文庫が落語文庫と銘打った帯を巻いて、フェアをやっているもののうちの一冊。
この本、入門書としても、なかなか良いのではないでしょうか?全38篇の演目の大略が手際よく描かれているし、描かれている絵も、各々の噺の世界の雰囲気をよく醸し出している。例えば、「明烏」で、烏がアー、アーと鳴いて夜が明けた郭の廊下を描いた一コマ(462頁)。また、言葉の意味も絵が入っているから、判りやすいですしね。あまた出ている入門書の類の中でも一番に推したい。
「紙入れ」のオチは、“女房を寝取られても気が付かない、そんな亭主の顔が見たいよ”という女房の言葉を受けて、亭主が、“見せてやろうか。それは、こいつだ”と言って、自分の顔を指す、というもの。こんなオチは初めてだから、まさか著者の創作ということもあるまいに、と思いながら、『落語事典』で調べてみたら、このオチは上方のものだとか。いや、勉強になりました。しかしながら、この上方のオチの方が、リアリティがありますね。
そうそう、懐かしいと言えば、吹き出しの中に描かれている一個の絵。それが、何を意味しているか、判るものもあればそうでないものもある。なんともいえない絵です。
滝田ゆうに関して、最近、『ぬけられますか』とい本が出版されている。これも、読んでみようか?

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2007.02.14

名人 志ん生、そして志ん朝

小林信彦=文春文庫
再読。2003年に朝日選書から出版されたものを読んでいたのだが、ほとんど覚えていなかった。しかし、読み進むと、この本を読んでから足繁く寄席に通うようになったことが思い出される。志ん朝を亡くした著者の喪失感が私にも伝わり、今、小三治を聴いておかないと、という衝動にかられたのだ。そして、そのお陰で、文朝を、さん喬を、雲助を識ることが出来た。
志ん朝の「寝床」について、現在、CDで出ているものは文楽型だが、TBSで放映されたものは、抱腹絶倒の志ん生型で、このほうが私は好きだ、という著者の言及について、<落語の蔵>のブログに松本尚久さんが、このことを指摘し、これからはジャズのように落語も別テイクを楽しむということがあってもいいのではないかというようなことを言っているのだが、なるほどと思った。この「寝床」、そして「中村仲蔵」、是非、聴いて、観たいものだ。
聴きたかった高座といえば、1981年4月の紀伊國屋寄席での馬生の「ずっこけ」。馬生が亡くなる前の年だが、“あれはすごかった”“打ちのめされた”と著者が激賞している。その馬生が若い頃からつけていた日記があったそうで、“本人の希望で”夫人が読まずに焼却したそうだが、これなどは一ファンとしては読みたかったし、存在すれば資料的価値は相当なものとなっただろう。
そういうわけでありまして、この本、再読した価値のある本でした。
そうそう、第四章<落語・言葉・漱石>を読んで『吾輩は猫である』も当時再読したことをも思い出しました。そして、『SWITCH』(1994年1月号)を捜し求めて叶わなかったことも。
『三人噺』もまた読みたくなった。

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2007.02.11

快楽亭ブラックの放送禁止落語大全2

快楽亭ブラック=洋泉社
前作1を読んでいたから、前作ほどの衝撃はないが、その内容の凄まじさは相変わらず半端ではない。たとえイニシャルであっても書くのが憚れるほどだ。それを全て実名で書いてある。空恐ろしくなる。あとがきにあるように、ブラックは、政府、皇室、創価学会、北朝鮮、落語立川流、これらがみんな嫌いで、からかいたくなるのだ。それは、前作を凌ぐ。腕が自慢の鮨屋の大将から、マスコミでも評判だという河豚の白子の軍艦巻きを出されて、それに名前を付けてくれと言われ、“バリウムうんこ巻き”と応えて、カンカンに怒らせたという態のものだ。とにかく、読んでみて下さい、というより他はない。
川柳川柳が唄う『涙の連絡船』の替え歌『涙の円楽さん』というものがあるそうで、それは巷間ブラック作詞と伝えられているそうだが、じつは“吉川潮大先生”の作だとか。吉川氏、意外とオチャメなんですね。この歌、ぜひ聴いてみたい。
今回は、写真も豊富で、若き日のブラックも観る事ができる。談志や三平とのツーショットなど初めて観ました。
付録のCDも前回同様、あの柔らかい声質で楽しく聞かせてくれます。

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2007.02.04

芸能鑑定帖

吉川潮=牧野出版
―あとがきに代えて―で、著者自身が言っているように、“立川流が嫌いな人は読まないほうがいいかも知れない”。しかし、それは、はじめに言って欲しかった。そして、著者自身はそうではないと言っているが、やはり、これは仲間褒め、自分褒めの本のようだ。また、著者になつくものには、その評価は甘い。林家きくおに関する項は、読んでいて気持ちが悪くなる。快楽亭ブラックともいろいろあったようだが、そのブラックの件で世話になったから一席設けたいとの申し出が文字助からあり、出かけるとはじめのうちは気持ちよく飲んでいたが、次第に様子がおかしくなり絡み口調になったとか。文字助がどのように絡んだのかわからないので想像するしかない。最後に、三太楼事件についても触れているが、当時、我々外野席には細かなことがなにも判らずもどかしいものがあった。しかし今にして思えば、その箝口令の徹底振りは見事であった。ブラックが満座の中で笑いものにされたのとは大違いだ。
しかし、逆に言えば、立川流が好きな人には、この本はこたえられない本であろう。談志のエピソードはやはり面白いですしね。

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2007.01.22

小説・古今亭志ん朝

金原亭伯楽=本阿弥書店
まず思ったのは、ここに書かれてあることは、詳細は別としても本当のことなのだろうか、という事。とくに女性が絡む第一章、第五章。花井伸夫氏が書いてある書評を読むとどうもそれらしき事件はあったようなニュアンスだ。たしかに、志ん朝の芸を楽しめばよいのであって、周辺のそのようなことは知る必要はないのではないかという向きもあるかもしれないが、それは、結局は既に知っている人のいう言葉であって、やはり、愛好者としてはそのような事をも知りたいのが人情である。しかし、如何せん、別の書評も言っているようにラブシーンなどはまるで“官能小説”みたいなのだ。この点を除けば、また新しいことを知ることが出来たということで、読んだ意味はあったと思う。ただ、伯楽には、師匠の馬生のことを書いて欲しいと思う。第六章に描かれている潔い馬生の姿などをもっと書いて欲しいと思う。

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2006.07.06

不死身の落語家

春風亭柳桜=うなぎ書房
柳桜の、その凄まじい体験の前に、言うべき言葉は何もないのだが、数々の病と闘いながら、それらを天命として、不死身の噺家として生きていくという柳桜にとって、やはり大きかったのは、看護婦さんである別れた奥さんの存在であろう。その知識、情報を駆使して、柳桜の幾つもの病に的確に対処してきた役割は大きい。今、朝日新聞の夕刊に日本のブラック・ジャック達を紹介しているが、我々一般人がその恩恵を授かる機会はあるのだろうか?その記事を読むと現在の日本の医療現場は恐ろしいものがある。その日本の医療現場で最良の治療を受けられた柳桜の僥倖があると思う。
西荻で世話になっている人々の柳桜に対しての忌憚のない言葉、右足を切った後、開いてくれた落語会の名に、“一本立ちの会ってシャレきついですか?”と言った昇太、右足切断に続いて左足を切断することを報告に行った末広亭の故おかみさんの“あんた、がんばってヨ!”という言葉、そして両足切断してからの“うちはいつでもかまわないから、あなたが出たいと思ったらそういってちょうだいね。いつでも出番をつくるからね”という言葉、日暮里特選落語会の番頭である立川談幸に、迷惑をかけるからと、この会を抜けると言ったときの、談幸の“足切ったって喋れるんでしょ、落語。だったら待ってるよ”という言葉。これらの言葉に支えられて柳桜は生きている。

春風亭柳昇の弟子には、全て、の一文字が入っており、新作派は昇が、古典派は柳が入るということを、この本で知りました。

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2006.06.26

花緑がナビする大人の落語ことはじめ

柳家花緑+小野幸恵=近代映画社
これまで出版されている落語関連のMOOKがやや若者向けだからなのか、この本、大人の、と銘打っている。しかし、装丁は雰囲気がそれらしいけれども、内容的にはどこが大人の、かはよく判らない。小野幸恵さんという方、最近、落語ブームに乗ってか、落語関連の書籍をよく出されているようだ。
鈴本の席亭が花緑との対談で、「持参金」という噺は、女性を妊娠させて金で売るという酷い噺だから、鈴本では禁演落語にしていると言っている。当方、この噺、まだ聴いたことがなかったので、南光と小遊三のを聴いてみた。確かに、女性の容貌を酷く言っているところはどうかなとは思うが、噺自体は、金は廻るという面白みがあって、禁演にする程かなと思ったのだが。この対談で、枝雀が鈴本にも出たことがあるというのは初めて知りました。
この本でも、簡単に落語の歴史にも触れているのだが、小野さんが記しているこの落語の歴史、山本進さんの『図説 落語の歴史』をそのままコンパクトにした感じなんですね。公式的な要約として、誰が書いても同じような感じになるのでしょうか?山本さんの本には、巻末に参照書籍が列記されていたのですが、このような本の場合には、参照した本を記す必要はないのでしょうか?
「花緑ごのみ」に行こうという章では、花緑の独演会の模様を紹介しているのだが、いろんなことをやっているんですね。プログラムにかみきりと書いていて、美容師を呼んだとか。これは非常にウケたと自賛しています。独演会の模様の写真があるのだが、これが凄い、ほとんど女性ばかり!しかも携帯カメラの砲列。これを見るとちょっと花緑の会へ行くのは躊躇します。やはり、会の構成、演目などもこのような客層に対応したものを考えるのだろうか。
この他、野村萬斎、小林十市との対談など。

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2006.06.20

借金2000万円返済記

快楽亭ブラック=ブックマン社
これも、『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全』と同様、凄まじい本。姉妹書と言えるかもしれません。『快楽亭ブラックの~』はネタ本だが、それにも書かれていたいろんな事件・エピソードが、この本には、さらに詳しく書かれてある。羨ましくもあるが、恐ろしくもある。大概は、その一歩手前で、引き返すのだろうが、ブラックはまた一歩前に出る。Y先生もギリギリになって引き返す芸人だと高を括っていたのだろう。Y先生の常識の範囲外にあったわけだ。『あちゃらかぱいッ』に登場した芸人たちにも通ずる最後の芸人かもしれない。
昭和44年、16歳の時に談志に入門し立川ワシントン(談志は別に立川をタチカワと読ませて立川キャンプという名も考えていたそうだ)、その時に、三平が“談志のところに白人の弟子が来た。ウーン、うちは黒人の弟子をとってやる”と悔しがったそうな。それぞれの面目躍如たる面白いエピソード。
最後の唐沢俊一氏との対談で、TBSで倒れたことで、これが縁となって落語研究会にも出演したいと意欲を燃やしている。実現すれば素晴らしいことだ。当方としては、是非、「文七ぶっとい」を演ってもらいたい。

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2006.06.15

図説 落語の歴史

山本進=河出書房新社
これは、なかなかタメになりました。タイトル通りに写真も豊富で視覚的にも楽しめました。落語の歴史を読むときにネックとなるのが代数。何代目の何某というのが頭に入りにくくて困ることがある。しかし、この本を読んでも判ることだが、代数そのものが結構、いい加減なんですね。結局、我々の何某ということでいいのかもしれない。
昭和32年に歌奴と三平が、上野鈴本で二つ目でトリをとったというのは初めて知った。こういうことが許されたのだろうか?席亭の力というものがそれほど、強大なのだろうか?正蔵の九代目襲名もやはり人気を優先させたというところだろうか。
また、面白かったのが、この正蔵の名跡。八代正蔵の誓言は有名だが、これを返上するにあたり現正蔵の母親(あるいは祖母?)がチクリと一言“少々、遅すぎました”と言ったとかその正蔵の本に書かれてあったが、しかし、この本によれば、七代正蔵も小三治と言う名跡を小さん派から返上するように強く言われ、そして正蔵を襲名したとある。これなどを読むと、どっちもどっちだなぁとは思う。

*上記した現正蔵の本というのは、『九代正蔵襲名』のことだが、確認のため図書館で借りてみたら、そのような記述はないですね。代数問題に関しては、ここでも山本進氏が詳細に述べています。恐らく、当方、TVかなにかで聞いたことを勘違いしたのかもしれない。

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2006.06.10

色川武大 阿佐田哲也全集・14

色川武大=福武書店
「あちゃらかぱいッ」「寄席放浪記」「なつかしい芸人たち」収載。
「なつかしい芸人たち」は、以前に新潮文庫で読んでいた。今、新潮オンデマンドブックスで3,000円だとか。
なにから書いていいのか?ただただ、ここまで淫することができた作者が羨ましい。その作者だからこそ、“昔、僕は席亭になるのが夢だった”という言葉がリアリティのある見果てぬ夢として納得できるのだろう。「あちゃらかぱいッ」で通奏低音として流れているのは、土屋伍一いうところの“どうってことないよ。死んだって、生きたって――”という言葉だろう。だから、おおかたの浅草の芸人が哀しい死に方をしたといっても、それは、あくまでも傍の人々のいらぬお世話なんだろう。当人たちは、勝手なことをしてそれで死んでいくのだから。
面白いのは、「寄席放浪記」で、談志と作者が対談しているのだが、共通している話題は、そんなにはないのですね。自分が見て知っていることをただ喋っているんですね。やはり、自分のことしか語れないんです、結局は。
世の中を“苦笑しながら”生きていた色川さんの雰囲気が味わえたという思いです。

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2006.06.04

笑わせる側の人生

矢野誠一=青蛙房
あとがきで、筆者も述べているように、この本のなかでも重複する部分があるし、また、筆者のこれまでの著書とも重複する部分が少なからずある。Ⅰ私の「寄席」遍歴、Ⅱ話藝の周辺、Ⅲ笑わせる側の人生、と三つの項目で構成されており、頁数が一番多いのはⅡであるが、これは落語以外の話芸に言及されている。やはり、当方としての興味は、噺家のスナップショット的なⅢにより多く集まるし、筆者の面目躍如たるところでもあろう。
畢竟、“落語の魅力は、究極のところ物語をこえた演者の語り口の個性にある”からであり、筆者のこの言に納得するから、氏の書物を読むのであるのだが。

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2006.05.22

快楽亭ブラックの放送禁止落語大全

快楽亭ブラック=洋泉社
書籍収載演目=「道具屋・松竹篇」「イメクラ五人廻し」「英国密航」「反対俥」「文七ぶっとい」「川柳の芝浜」「一発のオマンコ」「怪獣忠臣蔵」
CD収録演目=「道具屋・松竹篇」「全女番」
いや、凄まじい本です。始めに、付録のCDを聴いたのだが、その内容の凄いこと。川柳やさん八など、可愛いものです。ブラックにはタブーってのはないんですね~。皇室、差別用語、セックス。ブラックの落語、とにかく初めてなのだが、その声の柔らかなことにビックリ!その声質が、これらの放送禁止用語をオブラートに包んでいるのかもしれない。「全女番」は、「湯屋番」のパロディで、若旦那が全日本女子プロレスのレフリーになるというもの。
「文七ぶっとい」、文七に五十両を投げつけて走り去るところまでは、まっとうな古典落語で、看板に偽りありじゃないかと思っていたら、これが大間違い。なんと、文七の奉公先が、大人のオモチャ屋。解題で、ブラックが言っているが、前半で人情噺風にタップリと臭く演って、客を泣かす。そして、後半、下ネタで呆れさせる。このCDも是非聴いてみたい。
余談ながら、189頁にある『やくざ忠臣蔵』は、『なにわ忠臣蔵』の間違いであろう。

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2006.05.14

権太楼の大落語論

柳家権太楼=彩流社
面白くて一気に読みました。権太楼、若い頃は結構マスコミにも出てたんですね。一つの分岐点が、日曜演芸会が決まっていたために、将来、笑点につながるやじうま寄席を断ったことだとか。やじうま寄席を選んでいたら、今頃は笑点に出ていたかもと。
早い頃から、落語家になろうと決めていて、当時、小ゑんである談志の追っかけだったとか。しかし、大学生の時、談志と会って、“あ、この人とは、いずれケンカするぞ”と読んで、つばめの弟子になったらしい。で、結果として、談志の弟子にならなくて良かったと。なっていたら、今の談志のように、“きぅーっ、えいやっ”というようなことを演ってたろうと。
また、現在の名跡襲名問題についても、名跡は、協会預かりにすべきだ、俺がもっと発言力が増せば、そうするつもりだとか。
積極的発言、批判もあり、興味深く読んだのだが、その批判は、総じて弱者に向けられているように感じた。現在の人気者、実力者への批判は、巧妙に避けられているように思える。談志に対しても批判はしているのだが、それは、談志は天才だと留保をしたうえである。
【中席】権太楼の蔵出し写真帳は、楽しかった。本当の蔵出し。興味深い写真が満載。小三治、さん喬などが写っている草野球チームヨタローズの写真など。
【下席】では、自分自身のことも、赤裸々に語っている。母親が妾の子であることなども。そして、三太楼のことも。三太楼とは、何度も衝突しており、三太楼が真打昇進直前にも、辞めるというところまでいったらしい。
このように、なかなか面白い本なのだが、註が多いのが玉に瑕。この注釈、塚越孝がどうしてもやりたかったんじゃないだろうか。土手組という言葉になんで、5頁も費やす必要があるのだろう。この人、自分では否定しているけれど、本当は、高田文夫みたいに自分も演りたいんではないでしょうか?

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2006.05.08

いろものさん

橘蓮二/高田文夫=河出書房新社
おかげさまで、今ではかなりの数の既知の顔が載っています。しかし、ある日の東洋館の項に出てくる芸人さんは、未見の顔が多い。
仙花が載っている。この人、いつも真剣な表情で演っている。好きな芸人さんです。去年の4月に小花と二人っきりでさん喬を聴く会に出ていたのだが、その頃は、まだ、高座にデビューして間もない頃で、一番前で観ていて、ヒヤヒヤしたものだった。ところで、その小花は、何故、載っていないんだろう?ちょっと、片手落ちでは?
あとがきで、ローカル岡のことに触れていて、“今度、俺の本が出るんだよ。その本の帯を高田先生に書いてもらうことになってね”と話していたそうだが、この本のこと、よほど嬉しかったらしく、あちこちで話していた様子だ。ほんとに、無念だったでしょうね。
当方も、寄席に初めて入ったときには、落語をお目当てに行ったのに、太神楽に、紙切りに、近藤志げるに、一驚し、感動したものです。

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2006.05.07

楽写

林家彦いち=小学館
190頁程のうち、前半、50頁程が文章になっていて、それが、いままで漠然としか判らなかった前座の仕事・日常というものが、彦いちの文章でかなり具体的に判った。
それ以降は、すべて、彦いちが楽屋で写した噺家の表情。その写真に付されたキャプションも楽しい。そのなかの一つ、“幸せとは長い長い不幸の狭間に一瞬の幻のように現われて消えていく”という圓丈の言葉。
SWAの背番号5は、御贔屓さんの5とは初めて知りました。

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2006.05.05

桂ざこばのざっこばらん

桂ざこば=KK・ベストセラーズ
落語の話は、あまりない。酒のこと、家族のこと、芸能人のこと、等々、ざこばの身の回りに起きた事件について語った“大阪を元気にする”というコンセプトの本。そういう意味では、それなりに楽しめました。白浜コンパニオン事件、沢島忠監督の話等も面白かったが、あとがきにある、ざこばが内弟子時代にタチの悪い皮膚病にかかって、苦心して背中に薬を塗っていたら、師匠米朝が“どないしたんや? 薬こっち貸してみぃ、ワシが塗ったる!”と言って、“早よ良うなるんやで!”と丁寧に塗ってくれたという話には泣けました。

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2006.05.03

よってたかって古今亭志ん朝

志ん朝一門=文藝春秋
志ん朝のエピソードを、郡正明、古今亭志ん五、古今亭志ん橋、古今亭八朝、古今亭志ん輔、桂才賀、古今亭志ん馬、古今亭朝太によってたかって語られた一書。であるけれども、現在の各々の置かれてあるスタンスによって多少の発言の多寡、強弱があるのは、やはり、否めないであろうか。八朝、志ん橋の発言のウェイトが大きかったように思う。また、この二人の発言が面白くもあったのだが。
各人の入門時のエピソードも面白いのだが、真打になってからも、長いこと前座仕事をやっていたという志ん上(桂ひな太郎)の話も聞いてみたかった。
志ん朝が、前座時代、楽屋で大きなイビキをかいていたとか、弟子に稽古をつけるときは自分も一度さらってやったとか、分裂騒動で談志の襟首をつかんで詰め寄ったとか、いろいろ、当方にとっては初めての楽しく興味のある話ばかり。
志ん朝の本だけれども、志ん朝を語れば志ん生をも語ることになる。そのなかの一つ、志ん橋が志ん生から「道灌」の稽古をつけてもらって、第一声の『えー、お笑いを一席申し上げます』ばかりを繰り返させられるところ。

「いいか、お前はただ『えー、お笑いを一席申し上げます』って言ってるだろう」
「ええ。だって、師匠がそう言えっていうから……」
「そうじやないの。噺家が最初に『えー』って言うのは、<この後、この人は何て言うんだろう?>って客に思わせるための『えー』なんだ。お前は、ただ『お笑いを一席』って言ってるだけなんだよ」
 その瞬間、目から鱗が落ちたって感じだったね。でも、どう言えばいいのかは分からない。それから毎日一回は、
「えー、お笑いを一席」
 ってやらされたね。

素晴らしい話です。

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2006.04.29

金馬のいななき

三遊亭金馬=朝日新聞社
CD、書籍などの利用に図書館を重宝している。しかし、困ることは、予約してあるものが一時に届く場合だ。少数ずつ予約してあっても届くときにはドンと届く。まあ、それは新刊の場合であるから、贅沢な悩みと言えばそうも言えるのだが。落語関係の書物は、それほど読むのに時間もかからないので、ともかく、期限内に返却すべく読書に励んでいる。
この本、資料も豊富で、落語会のプログラムや昔の写真なども多数収められている。その昔の写真で当代の金馬の若かりし頃の写真を見ると、目がギラギラしているというのが第一印象。今とは大違い。高座で必ず、舞台の袖から高座までの中途で一礼をする今の温和な表情からは思いもよらないような、“欲”に燃えた目。それは、今も弟子にも言う、芸人は売れなくてはダメだ、そして売れるためには何をやってもいいんだ、という信念から来るものだろう。またそれは師匠、三代金馬の教えでもあるのだが。
この本の白眉は、売れる小金馬が、芸人からも噺家からもいびられ、悩んだ挙句、師匠金馬のところへ相談に行く場面。そこでもやはり師匠金馬は言う“とにかく何でも売れなきゃダメだな。芸人は売れなきゃ何の値打ちもないんだよ。”そう言って、悩む小金馬に暗黙の励ましを送る師匠に涙ながらに頭を垂れる小金馬。
そして、この本、志ん朝との、馬生との、エピソードも多数。
また、<第二部 金馬のネタ帖>の項を読むと、どんなに噺を覚えても、その噺家の顔の造作と言うか、そのようなものまでもが影響して、その覚えた噺もやりにくいということもあるということを知る。そして、その噺のもつ旬。例えば「七草」、この噺、寄席で何度か聴いたことがあるが、これからは、一期のものとして聴かねば、との思い、強くした次第。
余談ながら、この項の最後に“初席と言えば、以前は桂文朝さんがよく「かつぎや」を掛けていたのですが、彼も逝ってしまいましたので、先日は、私が掛けました。”という箇所は、胸に迫るものがありました。

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2006.04.26

志ん生のいる風景

矢野誠一=青蛙房
先日読んだ『文藝別冊 総特集・古今亭志ん生』のなかにこの本の写真が載っていたので、読みたくなっていろいろ探したが、文春文庫で出ていたものは、もう絶版になっているらしく、やむなく図書館で借りた。
『文藝別冊』の項で書いた円生、宇野信夫、坊野寿山の鼎談、馬生、小島貞二の対談は、この本でも言及されている。主だった資料は、何度も何度も使い回されているのかな。『文藝別冊』を読んで感じた円生の辛辣さは、この本によると、実際はもっと凄かったらしい。また、馬生の志ん生に対するアンビバレントな感情も、この本で、より具体的に知ることが出来た。
そのほか、新たに知った幾つかの事として、志ん朝が生まれたとき、志ん生は寄席で「桃太郎」ばかり演っていたことは知っていたが、八代可楽によれば馬生が生まれたときもそうであったらしいこと、また、志ん生もいくつか新作落語を演っていたらしいこと、等々。
この本で、矢野さんが信を置いているのは、結城昌治『志ん生一代』のようなので、遅ればせながら次にはこの本を読んでみよう。

口絵写真のキャプションに1946年とあるのは1964年の誤植だろう。しかし、いい写真だ。

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2006.04.13

落語のすべて

TBS落語研究会=日本文芸社
図書館の蔵書を検索していたら、こんな本があったので、借りて読む。
TBS落語研究会編となっているので、TBSが主催する第一回からの落語研究会の演目が載っているかと思ったが、残念ながら、それは載っていなかった。今、落語ブームらしいので、新たにそのデータも載せて新版を出してもらいたいものだ。
本の内容は、今はやりの落語ムックを書籍にしたようなものといえようか。だから、各項目がより詳しい。
奥付をみると、発行が平成11年で、たい平、喬太郎がまだ二つ目。この二人の写真の若いこと!特に、喬太郎の写真は、イメージが今とはかなり違う。
小三治のインタビューも載っているが、他で目にしたのと大差はない。

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2006.04.06

完本・突飛な芸人伝

吉川潮=河出文庫
昭和の63年に単行本が出てるそうだから、ちょっと古い(?)かな。この河出文庫、最近、装丁も変わって演芸関係の本も種々出てるみたいだけれど、既にどこかで出たものをまた出してるようですがね。値段も文庫にしちゃあ高くはないか。
やはり、落語家の川柳、小三太、志ん駒の項を楽しく読みました。小三太と言う噺家、一度見てみたいものです。志ん駒のヨイショは本当にここまでくれば一つの立派な芸ですね。他の芸人さんの項も面白く読んだが、やはり、幾許かの哀愁が漂います。
それよりも、解説を書いた昇太にビックリ。筋の通った文章に噺家としての気概が感じられました。

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2006.03.31

文人たちの寄席

矢野誠一=文春文庫
中野翠さんの『甘茶日記』にお勧めの本として出ていたので読む。
Ⅰ文人たちの寄席とⅡ名作の中の藝能と二つの項目があるのだが、Ⅰを面白く読んだ。
色川武大の項で、『寄席放浪記』の中の次のような文を引用している。

たくさん出演者が出てきても、本当にいい高座は一夜に一つあるかなしかで、大部分は辛抱して聴かなければならない。退屈な寄席というものは、相当に苦痛で、居ても立ってもいられない。なぜ自分は貴重な時間をこんなところで過ごしているか、と思う。ところがそこに中毒してくると、まさにその退屈を味わいにきているので、そこが賓沢な遊びだということになるのだ。

当方も全く同感だと思う。ただし、色川さんみたいに中毒するところまでは無論行っていない。そこまでの境地に達するまでは、やはり、お金も随分と掛かるだろうし。
でも、そうして本当にいい高座に出会ったときの喜びは大きい。
もう一つ、小泉信三の項での志ん生との関わりを述べているところは、涙なしでは読めない。
ただ、Ⅱは、ちょっと物足りなかった。各社が出している文庫本の解説のような感じ。

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2006.03.13

落語CD&DVD名盤案内

矢野誠一・草柳俊一=だいわ文庫
奥付の前の頁にこの本は書下ろしです、とあったのだが、すでに所有している『落語手帖』(矢野誠一=講談社α文庫)とほとんど同じ。よくみたら、凡例に“「あらすじと落ち」「参考」「落語家のことば」は『落語手帖』(駸々堂)を底本とし加筆・訂正した”とあった。とにかく全くといっていいほどに同じなのに書下ろしと言うのは、ちょっと語弊があるのではなかろうか? まぁ、CD&DVDの案内が面白そうなのでよしとしようか。でも、京須さんにしても草柳さんにしても、自身が録音した盤が優先されるのは止むを得ないか。

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2006.03.10

寄席はるあき

安藤鶴夫=河出文庫
安藤鶴夫の本、初めて読んだ。その読点の多さにビックリ。そして、かなが多い。たとえば冒頭の一文。

 ちかごろ、めっきり、寄席の客に、若いひとがふえた。
 とくに、女のひとの多いのには、びっくりする。つとめのかえりに、ビアガーデンで、若い女性が、ジョッキーを手にするのと、なんだか、つながりのあることのように、思われる。

上記の文など、いまの状況にもちょっと当てはまるかな。
この本では、志ん生の出囃子、一調入りと書いているけれど、一丁入りとどっちがホントなんだろう? どちらでも良いのかしら?
志ん生の復活と題した文で、志ん生が、医者もいいと言ったから“盆の十五日に酒びらきをやる”と宣言し、しかし、すぐにオカミさんと娘さんに窘められる。思わず泣き笑いするところです。
この本、写真(金子圭三)も豊富。往時をしのばせてどれも楽しいが、掉尾を飾る松鶴、米朝、春団治がいずれも若々しい!

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2006.03.05

今夜も落語で眠りたい

中野翠=文春新書
中野さんの本は、『ウテナさん祝電です』以来、出版されると必ず読んでいるのだけれど、その中野さんが落語について書いたというのだから、すぐに買って読みました。最近の落語ブームとやらに乗って幾種類もの落語入門書みたいなものが出ているけれど、そのなかで、この本が一番ではないでしょうか?素人としてのスタンスを保って自分の落語享受史を語っています。佐平次は、「付き馬」や「鰻の幇間」の登場人物とも同一人物なのではないのかとか、山口百恵は現代の幾代太夫であるとかいう指摘は、とても共感できます。

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