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2010年6月の3件の記事

2010.06.30

落語研究会(第504回)※

会場=国立劇場(小劇場)
◆日時=2010年6月30日(水)18:30開演
  ◇金原亭馬吉 「夏どろ」
  ◇林家たい平 「花見小僧」
  ◇柳家喜多八 「鰻の幇間」
 仲入
  ◇三遊亭歌武蔵 「鹿政談」
  ◇柳家さん喬 「白ざつま」

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2010.06.13

東横落語会13

金原亭馬生=小学館 「酢豆腐」「花見の仇討」
馬生の新しい演目が聴けるだけでも嬉しいのに、これがまた「酢豆腐」ときてるんだから、その喜びも倍加します。馬生の発する“コンツワ”“イツフク”“モチリン”なんてのを耳にすると、もう堪りません。
馬生の「酢豆腐」は、兄貴の家に皆が集まって前日から飲んでいるという設定になっているんですね。そして、翌日、酒を出すのも兄貴が嫁さんに言いつけて用意します。しかし、そのカネがあるか問答の中でも、最高に可笑しかったのが、熊さんとの問答。
 “熊さん、お前どうだい、ゼニあるかい?”
 “面白くねーな、なぜって、人の懐あてにしてんだ、そういう時は、熊さん、オアシはありますか、ってなぜ聞かないんだ!”
 ”成程、そいつはリクツだ。熊さん、オアシはありますか?”
 ”いえ、わたしはオアシはありません”
勿論、客席も大爆笑!
志ん朝の「酢豆腐」と聴き比べてみると、それぞれに志ん朝らしさ、馬生らしさが顕われている。志ん朝らしさ、馬生らしさって、なんだと言われると、ちょっと答えに窮するけれど、まぁ、なんとなく解ってはもらえると思うんですが…。あえていえば、虚実皮膜のあわいにある志ん朝と、戯画化された中に真実を垣間見せる馬生とでもいおうか。
この『東横落語会 ホール落語のすべて』は、資料の主要ホール落語会の演者演目一覧を見ているだけでも楽しい。たとえば、『よってたかって古今亭志ん朝』の巻末にもあるように、東横落語会に志ん朝は早くも朝太の名で昭和33年(第16回)には出ているのに、馬生が東横落語会に初めて出たのは、昭和36年(第31回)になってから。このブランクはなんなんだろうと思ったり(私の見落としがあったらゴメンナサイ)。
しかし、愚痴になるけれど、やはり、『十代目金原亭馬生―噺と酒と江戸の粋』にも、『よってたかって古今亭志ん朝』のような資料をつけて欲しかったですね。

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2010.06.01

昭和の爆笑王 三遊亭歌笑

岡本和明=新潮社
本書の“あとがき”に、“本書に書かれた話は、公園で出会った見城との話以外は、ある程度の誇張はあるが、ほとんどが事実である”とある。だから、見城との会話で、当時の時代背景、あるいは落語界の状況などを説明しているのだが、やはり幾許かの違和感は否めない。しかも、見城との会話以外でも、会話によって状況を説明している部分があるのだが、このあたりもリアリティが感じられない。たとえ、語られていることが事実であっても、そういう口調で会話したであろうかとの思いがある。例えば、歌笑と弟弟子の金太郎(小南)との会話であるが、確かに歌笑が兄弟子であるから、金太郎に対して兄弟子であるような口調で話すだろうかもしれない、しかし、本書で書かれているように、自身の容貌のために幼少の頃から虐げられてきた歌笑は、たとえ自分が身分が上に位置する立場であろうとも、遠慮深げな言葉遣いをしたのではなかろうかと想像するのだが…。
歌笑が亡くなって半世紀以上経っているのだから、もう判らないことがあるのかもしれない。また、未だ書けない事があるのかもしれない。しかし、例えば、歌笑の“咄家としての人生に於いて重要な分岐点”となった人形町末広での出演の、その明確な日時などは明記して欲しかった。また例えば、歌笑の真打昇進興行のときに、“歌笑……これ迄随分つらく当たってきたが勘弁してくれ……”と謝ったという咄家の、その日の歌笑の日記に記されていたというその名前は知りたいとも思う。
さらに欲を言えば、紙幅の関係もあるかもしれないが、人気沸騰した歌笑の当時の状況をもっと知りたいと思う。歌笑が人気絶頂の頃の記述の量に物足りなさを覚えるのである。タイトルにあるように”昭和の爆笑王”といわれる所以をもっと理解するためにも。
しかしながら、本書によって、歌笑の生い立ちを詳しく知ることができた。そして、戦後、歌笑が台頭してきた状況も知ることができた。それから、権太楼、歌笑、痴楽、三平という落語界のもう一つの流れも理解することができた。これまであまり言及されてこなかった咄家にスポットライトをあてた本書は、この点において貴重かもしれない。

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