江戸演劇史
渡辺保=講談社
先に少し書いた『江戸演劇史』をようやく読み終える。この本、歌舞伎だけではなく、能、狂言、文楽にもついても述べているので、これらの関連で、落語に関しても教えられることが多かった。一例を挙げれば、「真景累ヶ淵」で、豊志賀は富本節の師匠となっているのだが、それはその時代、富本節がまさに全盛だったことを恐らく反映しているのですね。
「淀五郎」に出てくる団蔵は、この本を読んでいる時には、五代目の“渋団”かと思いながら読んでいたのだけれど、どうも、四代目の“皮肉団蔵”らしいですね。圓生百席の芸談で、圓生が語っているのですけれども、当初、圓生も五代目と思い、そのようにして口演していたそうです。しかし、ある時に東大落語会の方から五代目では時代が合わないと指摘されてから、四代目として演っているとのことです。しかし、『江戸演劇史』を読むと、イメージとして五代目のほうが、「淀五郎」にはピッタリ嵌るように思えるのですが。
ところで、先日は、「中村仲蔵」について、落語、講談で伝えられている話は伝説で、真相は別のものだということを書いたのですが、同じ渡辺さんが書いた『歌舞伎ナビ』を読みましたら、その80頁に“これは有名な初代中村仲蔵の工夫だといわれています”と書いてあるんですね。どちらが本当なんだろう? こちらのほうは案内書として、あまり深くは書かれなかったのだろうか。
それに関連して、素朴な疑問として、三代目仲蔵が書いた『手前味噌』を渡辺さんも折々に引用しているのだが、「中村仲蔵」の件は否定して、他の所は大いに引用しているのです。その分岐点はどこにあるのでしょうか? ま、これは、専門的な視点でキッチリと判別されているのでしょうね。
最後のところで、渡辺さんは、能、狂言、そして人形浄瑠璃が江戸時代に古典化したが、そして、歌舞伎も古典化したのだが、歌舞伎役者の、歌舞伎のバイタリティによって、興行財として一般大衆の中に生きていった、と結ばれている。この文章は、今、落語にこそ当てはまるのではないかと思うのです。いや、そうあって欲しいと希うのです。
この本、先にも書いたとおり、間違いなく渡辺さんの意図したとおりの面白い歴史書です。ただ、渡辺さんも、索引を付さなかったことを許していただきたいと仰っているのだが、やはり、これは欲しかった。唯一、残念なことです。
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