« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月の6件の記事

2008.05.31

野口雨情・西條八十の世界

近藤志げる=オーマガトキ
寄席(といっても、新宿末広亭が殆どだが)で時折に聴く近藤志げるの唄はなんともいえない魅力があって、涙を誘われる。その志げるがCDを出したというので、早くから聴きたいと思っていたが、ようやく聴くことができた。実は、ネット上で部分的に視聴したことがあるのだが、なんとなく物足らないものを感じていた。そして、CD全体を聴いてみて、その感を益々強くした。寄席で聴く志げるの唄にはルサンチマンがあり、パフォーマンスには毒気があるのだが、このCDに聴く唄は、すっかり漂白されてしまっている。声も生硬で、妙に歯切れがよくって、突き抜けた声。CDを出した喜びだけが出ているような感じだ。
また、パフォーマンスにしても、寄席でよく聴くのは、「シャボン玉」の“屋根まで飛んだ”という歌詞に対して、客席の少年が“おじちゃん、この唄は台風の歌かい?”と訊いたというものがあるのだが、このCDでは、「七つの子」の“かわいい七つの子”という歌詞に対して、やはり客席の少年が“おじちゃん、カラスは七羽も雛を産まないよ”と指摘した、ということになっている。同じような状況なのだが、寄席では、この少年を毒づいている。しかし、CDでは、少年に対してなんとも温和な志げるなのだ。
寄席での、“森繁久彌が今日、午後5時30分にに皆に見守られながら、…夕食を食べた”という冒頭のツカミ、客席へのやや高圧的な態度、叙情性とルサンチマンとがタップリの唄は、本当に魅力的なのだが。
近藤志げるは新宿末広亭に限る、というところか。

| | コメント (0)

2008.05.29

落語研究会(第479回)※

会場=国立劇場(小劇場)
◆日時=2008年5月29日(木)18:30開演
  ◇柳家三之助 「片棒」
  ◇柳亭市馬 「粗忽の使者」
  ◇柳家花緑 「花見小僧」
 仲入
  ◇柳家小三治 「小言念仏」
  ◇柳家小さん 「猫久」

| | コメント (2)

2008.05.23

東穀寄席(第97回)

<若手落語家勉強会>
◆会場=東穀ホール(東京穀物商品取引所1F)
◆日時=2008年5月23日(金)18:00開演
  ◇三遊亭好二郎 「しの字嫌い」
  ◇桂平治 「鈴ヶ森」
  ◇三遊亭歌彦 「悋気の独楽」
  ◇口上=藏之助、遊馬、平治
  ◇橘家藏之助 「幇間腹」
  ◇三遊亭遊馬 「井戸の茶碗」

続きを読む "東穀寄席(第97回)"

| | コメント (0)

2008.05.18

赤めだか

立川談春=扶桑社
談春は好きではないけれど、談志のエピソードが聴きたくて読んでみる。読んで、その文章の達者なことに驚く。客観・主観ともに見事に描き切る。アイロニーもあり、場面場面の描写も的確。ホント、頁を捲るのももどかしいという感じで読みました。しかし、これ、本当に談春が筆を執ったのかしら?談春が「談春」に“オレ”とか“ボク”とかのルビを振るという小賢しい真似をするだろうか?ま、それはともかくとして、談志のエピソードが好きな人には堪らない一冊かもしれません。また、文字助のエピソードも爆笑モノ!電車で読んでいて、笑いをこらえるのに必死。
談春の、入門から真打になるまでの事が、八話に渉って書かれており、二つの特別篇が付いている。しかし、この特別篇は余計だった。文の調子も違っている。せっかくのいいリズムがこの二編で損なわれている。こんなことに頁を割くくらいなら、本編でもっと談志の、文字助の、前座仲間のエピソードを書いて欲しかった。
とは言いながらも、特別篇で言及されている米朝の「除夜の雪」を聴きたいなと思ったら、幸いなことに偶々手元にあったので、それを聴いてみた。確かに、暗い噺だが、前半の珍念の抜け目無さが笑える所か。しかし、談春のそれを、わざわざ聴こうとは思わないが。
『人生、成り行き 談志一代記』なるものが、まもなく刊行されるようだが、この『赤めだか』、この談志本の露払いの役目も果たしているのかもしれない。

| | コメント (0)

2008.05.11

十代目金原亭馬生十八番名演集(続)

金原亭馬生=コロムビア
先に出た十枚組みの続編。全七枚で、BOXセットも販売されているが、今回は特典盤も無いので単品を七枚一度に購入。BOXセットだと解説が一冊にまとまっており、一枚のCDのケースに収められているのは、ペラのジャケットの表紙だけなので、ケースを開閉するときにこのペラがケースからはみ出たりして、煩わしいということもあり単品で買った次第。演目的には、今回のシリーズは、既に所有している演目も少なからずあるのだけれど、前シリーズのところで切望していた「そば清」も今シリーズで収録されており、もうこの際、全巻購入して全巻統一ジャケットで揃えました。
まだ全部を聴いてはいないけれど、「あくび指南」、これは最高ですね。「あくび指南」は、保田さんの解説によると、前シリーズの五巻と今シリーズの十二巻、そして、『ビバ!江戸』シリーズに収録されているとのことで、早速、聴き比べてみたのだが、今回のシリーズに収められたこの「あくび指南」が、時間的にも一番長く、マクラもタップリ語られている。志ん生から聞いた名人橘家圓喬の話、耳かき、猫の蚤取り、釣指南所。ちなみに、前シリーズのものは、時間的にも一番短く、そのせいか、マクラも釣指南所のみ。『ビバ!江戸』のものは、耳かき、猫の蚤取り。本題は、前シリーズのものが、湯屋での欠伸が無かったが、内容的にはほぼ同じ。ほぼ同じだが、微妙に違う所もあり、それを聴く楽しみもある。例えば、『ビバ!江戸』では、舟を舫っている場所が首尾の松(この言葉も、『江戸吉原図聚』を読んだお陰で直ぐに判るのだが)と言及されている。そして、今シリーズでは、あくび指南所へ行くから付き合えよと誘われた源さんが、くだらないことに付き合えないと言うと、誘った熊さんが、世の中はくだらないことばかりなんだと言う箇所があるのだが、“くだらないことを一生懸命演るのが落語だよ”と師匠が言っていたという雲助の言葉を思い出す。また、前シリーズでは、最後に待ちくたびれた源さんは、“教える方も教える方だが、教わる方も教わる方だ”と言っている。他の二種では、“銭を取って教える方は仕様が無いけれども、あんなもの金を出して教わっている”と言っている。
このように、三種微妙に違うのだが、噺の面白さはどれをとってもいずれも遜色は無い。しかし、ここはやはり時間的にもたっぷりと演じられていて、マクラも堪能できる今シリーズの「あくび指南」を十撰に挙げておこう。とにかく、落語の面白さを凝縮した一枚と言えよう。だって、欠伸が本当にポアっと出るんですよね、このCDを聴くと。
白酒が、「あくび指南」を演った時に、志ん朝から、“お前の師匠に教わったんだろう。うちの兄貴もそういう風に演っていたよ”と嬉しそうに笑いながら言っていた、ということを想い出話として述べている。そんな話を聞くと、なんだか嬉しくって可笑しくって哀しくって涙が出そうです。

| | コメント (0)

2008.05.06

志ん朝と上方

岡本和明=アスペクト
この著者(というか編者というか、あるいは企画者というか)の『よってたかって古今亭志ん朝』『まわりまわって古今亭志ん朝』、そしてこの本を読んでの極めて大雑把な感想は、志ん朝という人は孤独な人だったんだな、ということです。志ん朝に接した人は誰一人として志ん朝を悪く言う人はいない。そして、自分が受けた志ん朝の言葉を、また自分が志ん朝と共に共有した時間を、自分だけが受けた他の者は共有できなかった有難い経験だと思う。しかし、志ん朝は、己が発する言葉が己が為す行為が己と接する人にどのような影響を及ぼすか自覚するがために、どんな場所でもどんな人にでも、同様な平等な接し方をしたのではないだろうか。そうやって形成された周囲の志ん朝像を損ねる行為は慎むことになっただろう。そうすると、やはり自然に孤独になっていったんではなかろうか。例えば、喜多八が、金馬が、泥酔した志ん朝を語ってはいるが、そういうことは本当に稀だったんではないだろうか(いや、あるいはこれもまた皆に平等な行為だったかもしれない)。私が想うに、唯一、志ん朝の素の姿を観たのは、志ん朝の側で長いこと前座的仕事をやったという志ん上だったのではないだろうか。そういう意味でも、志ん上の話を聞いてみたい。
こうは書いたけれど、全体としては可笑しくって哀しい本だ。内海英華が聴いた、“というようなわけで…”という言葉(詳しくは本書を読んでください)も、可笑しくって、私も使わせてもらおうと思った次第。
この本の最後に「志ん朝とカミガタ」という項があるのだが、カミガタというのは、髪型を上方とかけてのシャレで、志ん朝がよく通ったという幼馴染の床屋さんの想い出話。前にも言ったことだが、志ん朝を語れば志ん生を語ることになる。この床屋は、先代の時から志ん生も通っていて、なんと、あの志ん生の髪型は、坊主ではなく角刈りだったそうだ!真実とすれば、地動説に勝るとも劣らない驚天動地の事実だ。
アスペクトは、相変わらず校正が杜撰。なぜ文春から書名も統一して三部作として出版しなかったのだろうか?

| | コメント (6)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »