入船亭扇遊・柳家喜多八二人会
会場=横浜にぎわい座
◆日時=2008年3月2日(日)14:00開演
△三遊亭歌ぶと 「権助魚」
◇入船亭遊一 「転失気」
◇入船亭扇遊 「片棒」
◇柳家喜多八 「幇間の炬燵」
仲入
◇太田その・松本優子 女道楽
◇柳家喜多八 「子別れ(中)」
◇入船亭扇遊 「子別れ(下)」
喜多八の話によると、この会、鯉昇も入れた三人の会として予定されていたらしい。鯉昇のスケジュールが合わず、二人会となったとか。それで出てきた企画が、「子別れ」のリレーということで、喜多八も初めてのことのようだ。
歌ぶと、初めて観ました。前座とは思えない程、しっかりしていると思いました。「権助魚」は、あまり前座は演らないのでは?網獲り魚の中に、鮫の切り身が入っていたのは初めて。サゲもこの鮫に絡む。
遊一も初めて。東千代之介に似たイイー男。東洋大学を出て、扇遊の弟子。他の噺を聴いてみたい。
扇遊の「片棒」が、滅法面白かった。私のこれまでの「片棒」は、CDで聴いたさん喬だったが、それよりも上。
喜多八の「幇間の炬燵」は、以前にも聴いたが、あまり馴染めない噺。しかし、喜多八は、この噺、よく演りますよね。(付記:こう書いたが、調べてみるとライブでは一度も聴いたことがないんですよね。TVで観たのかしら?何度か聴いたような気がしたんだけど。そして、演目も「幇間の炬燵」と記したプログラムか何かを見た気がしたんだけど。)
女道楽は、太田その、松本優子と書いたのだが、ちょっと心許ない。というのも、会場では当日のプログラムは配られず、チラシが他の日の公演のチラシと一緒に配られたのみ。『女道楽』の演者名はチラシには記されていないから、高座から松本さんが二人の名を言ったことを頼りにして書いている。プログラムぐらいは作って欲しいものだ。
喜多八の「子別れ」は、熊五郎が吉原から自分の家に帰ってくる所から始まった。そして、女郎をたたき出す所まで。しかし、これまで私が聴いた喜多八の噺には女性は全くと言っていいほど出てこなかったのではないだろうか。女性を演じる喜多八を初めて観たような気がする。
扇遊の「子別れ」。今日のお目当て。『東京かわら版』での佐藤友美さんによるインタビューを読んで以来、是非聴きたいと思っていた扇遊の「子別れ」だが、こんなに早くに聴けるとは。そして、期待に違わぬ名演だった。喜多八の高座が終わった後に出てきて、一切の言葉もなく、いきなり“熊さん、居るかい”という番頭の言葉から直截に始めた高座は、もう扇遊の「子別れ」の世界だった。鰻屋の前で久し振りに亀吉と会って話す時の、熊五郎の静謐な悲しみが印象的。例えば、権太楼の、涙で顔をくしゃくしゃにする女房も、あるいは、さん喬の、“勝手な真似をしやがって”と叫ぶ女房もいない。しかし、今にも溢れそうな満々と湛えられた静謐な悲しみがある。
鰻屋の二階で夫婦が再開した時に、けなげにも、また一緒に暮らせるようにと願う亀吉が熊五郎に言うセリフがまた泣かせる。“自分で髪を洗えるようになった。お父ぁんの背中も流せる”と。志ん生の金坊のようには多弁ではない。しかし、ここで、これまで満々と湛えられた私の涙も一気に溢れてしまった。初めからその場に居るのではなく、途中から顔を見せる番頭さんも、とても効果的。扇遊は“子は鎹”という言葉も、この番頭に言わせる。
一席を終えて頭を下げた後、高座を外し、一緒に並んで挨拶をする喜多八を招いたのだが、その喜多八、袖を目頭にあてがいながら出てきて、扇遊の肩に顔を埋めて泣き崩れる仕種。喜多八の面目躍如。
横浜まではるばる行った甲斐がありました。帰りの電車でも思い出してはまた涙ぐむ。そして、このブログを書きながらもまた涙ぐむ。勿論、今日の高座も十撰に入れるのだが、そして、本当は「片棒」も入れたいくらいなのだが、そうすると、極端な話、今は扇遊ばかりになってしまう。けれども、現在(いま)の私の好みということであれば、それも致し方ないかもしれない。私自身も変わるのだから。そして、演者も変わるのだから。
横浜にぎわい座は初めて行ったのだが、そんなに滅茶苦茶広いわけではなく、程よい広さ。客席には、弁当とか、飲み物を置く台も付いてるし、小奇麗な感じ。機会があったら、また足を運びましょう。
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