« つくし日記 | トップページ | 桂米助 野球落語 »

2007.03.25

志ん生一代

結城昌治=朝日新聞社(昭和52年11月30日発行)
ようやく『志ん生一代』を読むことができました。多くの評者がこの本に言及されているので、早く読みたいと思っていましたが、今、出ている学陽書房の文庫は一冊が800円以上もするので二の足を踏んでいたのです。で、図書館で借りて読もうかと思い近くの図書館で借りたのですが、それはかなり古く、表紙に〔汚損アリ〕のシールが貼ってあるという代物で飲み物をこぼしたあとなどがあり、なかなか繙くまでに至らなかったのです。しかし、一旦、繙くとまさに巻を措くに能わずの面白さでして、一気に読んでしまいました。評伝だと思っていたのですが、そうではないのですね。そのことは、著者があとがきにも書いていますが、志ん生が有名になったのは40歳からで、また、志ん生自身も誤ったまま記憶していることが多く、伝記を書くことは無理だと判って諦めたそうです。しかし、出来る限り正確にと記したその内容は、志ん生の人間がくっきりと描き出された素晴らしくも面白い内容です。
その内容は、もう既に多くの書物に引用、言及されていますし、また、長年のベテランの落語愛好家の皆さんは当然に知っていることばかりでしょうが、遅れてきた落語聴きたる私には初めて知ることも多々ありました。例えば、以前、『寢ずの番』のところで記した疑問もこの本を読んで判明しました。満州から帰ってきた志ん生が一緒に銭湯に行ったまだ売れない長男の馬生に次のように言うのですね。

“まだ若えな。大きい薬罐は沸きが遅いんだ。焦ることはねえ。おれなんぞ、その年頃は円喬師匠の弟子になりたかったが断られて、天狗連でばたばたやっていた。はなし家は、ほかへ色眼なんかつかっちゃいけねえ。小鍋はじきに熱くなるが、さめるのもじきだからな”

あの場面で読んでいた本は、『志ん生一代』だったのですね。
あの志ん生が、嫁のリンを抱いたであろうと想像される箇所が二箇所あるのですが、辛い貧乏の生活が続く中で思わず微笑んでしまう場面です。
また、売れない時代に志ん生が火災保険の勧誘員をしたなどという驚天動地のエピソードも笑えますが、紀元2600年の行事に志ん生が生まれて初めて洋服(国民服)を着たという話も想像するだに面白いのですが、この時の場面を後の志ん朝も見ているのですね。志ん朝のCDシリーズ<志ん朝復活>の特典CD『志ん朝、父母を語る』のなかで語っているのですが、友達と遊んでいる強次の前を履いた靴のせいで歩きにくそうに歩いている志ん生は近所の人達の前を照れくさそうに笑いながら歩いていったそうです。ちなみに、このCDで、志ん朝は本当に重い口を開いているのですが、母親のことを話すときには次第に熱を帯びて来るのが判ります。
兵隊寅、羽織を贈ってくれた小西万之助らとの交友も涙なしでは読めません。この本、やはり、レファレンスブックとしても手元に置きたいなと思います。朝日文庫は、もうこの本の版権はないのでしょうか。文春かどこかで廉価な文庫を出版して欲しいものです。

|

« つくし日記 | トップページ | 桂米助 野球落語 »

BOOK」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« つくし日記 | トップページ | 桂米助 野球落語 »