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2007年3月の15件の記事

2007.03.30

志ん生の右手

矢野誠一=河出文庫
時折、同じ演題をいろいろな噺家のCDで聴き比べる。そして、こういうことをライブでも聴きたいものだと夢想する。同じようなことは誰しも思うものらしい。
小沢昭一に勧められて『國文学』や『新劇』などに書いた“ちょいカタメの、あまり商売気のある本屋さんにむかないもの”を集めて出した『落語は物語を捨てられるか』(新しい芸能研究室)を商売気のある河出書房新社から文庫で出したものがこの本。前のタイトルでは売れ行きの不安を感じて『志ん生の右手』としたのだろう。しかし、やはり、この本の通奏底音は『落語は物語を捨てられるか』に記されている“落語にとって物語とはなにか”ということであろう。著者が高校の頃、いろんなジャズバンドが「アゲイン」を競演したのを聴いたことがあり、落語でもいろんな噺家が例えば「寝床」を競演するということは叶わぬ夢だろうかと考えていたら、ある時、永六輔構成・演出で催された<六輔その世界>という会で毒蝮三太夫と柳家小三治が続けて「湯屋番」を演ったという。それなりに演じた毒蝮の後の小三治は、物語を奪われた噺をプロの技術をもって苦心して緊張しながら演じたという。今は、「湯屋番」は誰が演っても「湯屋番」であり、「湯屋番」を聴いても例えば“桂文楽のはなし”として聴くことは無理なのだろうかと著者は言っている。この文庫版では、小沢昭一と著者の指名ということで、現在の小三治が<解説にかえて>を書いている。小三治は、このときのことを覚えていて、面白いことに著者の想像とは違って、あの時は、永六輔の指示ではなく自分の決断でやったという。その時の客が“ショー”を観に来た客だと感じてやってみたという。“こんな客にまともな落語を聞かせられるかい”という思いからあえて“自殺行為”をやったのだと。この話、音符と言葉との違いがあると思うので一概には言えないだろうけれど、やはり、言葉を媒介とする落語の方がより困難だろうと思う。そして、確かに同じ「湯屋番」を聴かされるハメになるのかも知れないが、すくなくとも今の小三治は“小三治のはなし”を我々に演じてくれるだろうと思う。
この頃、著者は月に百枚ほど原稿を書いていたという。だからか、どうしても同じ文章が散見するのだが、それもやむをえないところか。そのなかで、初めて知った赤平事件についての文章<翫右衛門と赤平事件>は面白かった。前進座は、日本共産党と親密な関係があったのか。そうすると、山中貞雄なんかもそういうシンパシーはあったのだろうか。
この文庫の表紙と、同じ矢野さんが編んだ同じ出版社の『志ん生讃江』は同じ志ん生の写真が使われたまったく同一の表紙。これは、タイアップ商品ということでこういうことになったのだろうか?普通は、ありえないと思うが。
しかし、河出の文庫は値段が高い。
*261頁に寺尾昌晃とあるけれど平尾昌晃のことなのだろうか。

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2007.03.28

落語研究会(第465回)※

◆会場=国立劇場(小劇場)
◆日時=2007年3月28日(水)18:30開演
  ◇古今亭駒次 「時そば」
  ◇入船亭扇辰 「夢の酒」
  ◇古今亭志ん輔 「愛宕山」
 仲入
  ◇林家正蔵 「ぞろぞろ」
  ◇柳家小三治 「一眼国」

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2007.03.27

桂米助 野球落語

桂米助=テイチク 「野球寝床」「最後の審判」
収録されている二席の演目は、これまでにTVでも放映されているので目新しいものではありませんが、やはりライブならではのマクラが楽しめました。ボビーや仰木など明るい監督はマジックと称されるが、野村や広岡など暗い監督は管理野球と称されるとか、また、イチローのドラマでの達者な役者振りから、長嶋さんも上手い演技をするが、ナボナの王さんは、どうにもいただけない、やはり王さんはキッチリと型から入るようだ、だから古典落語をやったら凄いのではないか、ということ等々。お客もよく反応するお客さん。お江戸日本橋亭、まだ入ったことがなくて、初めてその様子を観ましたが、アット・ホームな雰囲気ですね。
この<野球落語>、この後も(2)(3)とリリースされています。この巻には(1)という巻数は明記されていないので、あるいは売れ行き好調のため、急遽続巻のリリースも決まったのかしら。米助人気、恐るべし。
画質は、とても良いと思います。

*DVDといえば、以前にもちょっと触れた小三治のDVD全集、HMVの情報によると、もう既に予約を締め切って、7月に発売するようですね。しかし、その演目の詳細も告知しないまま販売するとは、小三治の人気、サスガといえばサスガですがね。私は購入を逡巡する前に情報のみが通り過ぎたという感じです。

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2007.03.25

志ん生一代

結城昌治=朝日新聞社(昭和52年11月30日発行)
ようやく『志ん生一代』を読むことができました。多くの評者がこの本に言及されているので、早く読みたいと思っていましたが、今、出ている学陽書房の文庫は一冊が800円以上もするので二の足を踏んでいたのです。で、図書館で借りて読もうかと思い近くの図書館で借りたのですが、それはかなり古く、表紙に〔汚損アリ〕のシールが貼ってあるという代物で飲み物をこぼしたあとなどがあり、なかなか繙くまでに至らなかったのです。しかし、一旦、繙くとまさに巻を措くに能わずの面白さでして、一気に読んでしまいました。評伝だと思っていたのですが、そうではないのですね。そのことは、著者があとがきにも書いていますが、志ん生が有名になったのは40歳からで、また、志ん生自身も誤ったまま記憶していることが多く、伝記を書くことは無理だと判って諦めたそうです。しかし、出来る限り正確にと記したその内容は、志ん生の人間がくっきりと描き出された素晴らしくも面白い内容です。
その内容は、もう既に多くの書物に引用、言及されていますし、また、長年のベテランの落語愛好家の皆さんは当然に知っていることばかりでしょうが、遅れてきた落語聴きたる私には初めて知ることも多々ありました。例えば、以前、『寢ずの番』のところで記した疑問もこの本を読んで判明しました。満州から帰ってきた志ん生が一緒に銭湯に行ったまだ売れない長男の馬生に次のように言うのですね。

“まだ若えな。大きい薬罐は沸きが遅いんだ。焦ることはねえ。おれなんぞ、その年頃は円喬師匠の弟子になりたかったが断られて、天狗連でばたばたやっていた。はなし家は、ほかへ色眼なんかつかっちゃいけねえ。小鍋はじきに熱くなるが、さめるのもじきだからな”

あの場面で読んでいた本は、『志ん生一代』だったのですね。
あの志ん生が、嫁のリンを抱いたであろうと想像される箇所が二箇所あるのですが、辛い貧乏の生活が続く中で思わず微笑んでしまう場面です。
また、売れない時代に志ん生が火災保険の勧誘員をしたなどという驚天動地のエピソードも笑えますが、紀元2600年の行事に志ん生が生まれて初めて洋服(国民服)を着たという話も想像するだに面白いのですが、この時の場面を後の志ん朝も見ているのですね。志ん朝のCDシリーズ<志ん朝復活>の特典CD『志ん朝、父母を語る』のなかで語っているのですが、友達と遊んでいる強次の前を履いた靴のせいで歩きにくそうに歩いている志ん生は近所の人達の前を照れくさそうに笑いながら歩いていったそうです。ちなみに、このCDで、志ん朝は本当に重い口を開いているのですが、母親のことを話すときには次第に熱を帯びて来るのが判ります。
兵隊寅、羽織を贈ってくれた小西万之助らとの交友も涙なしでは読めません。この本、やはり、レファレンスブックとしても手元に置きたいなと思います。朝日文庫は、もうこの本の版権はないのでしょうか。文春かどこかで廉価な文庫を出版して欲しいものです。

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2007.03.23

つくし日記

川柳つくし=つくし情報
最近、折々に川柳つくしの日記を読んでおりますが、いやぁー面白いですね。抱腹絶倒ものです。特に支障(つくしは師匠川柳をこう表記する)が登場する所は最高です。支障との愛憎劇。支障のエピソードなどは、肩を震わせて笑いながら読んでおります。支障の奥様は、事情があって娘さんの扶養家族になっており、支障は不要家族だそうです。週刊誌に載った落語家のあるランキングを見て、“いっ平に勝った”と支障は大変に喜んだそうです。TV『落語の極』に支障への出演依頼はないのだろうかと弟子としてつくしは思いましたが“あの番組は二席ネタを用意しなきゃならないから支障じゃ無理か”と納得しました。支障は楽屋に置いてある菓子類を根こそぎかっさらって自宅に持っていくそうです。支障がトリの芝居の時は、楽屋には芸人さんは一人も残っていないので、打ち上げなど一人でやる時もあるそうです。
こういう支障ですが、時には支障もつくしに客に応じたネタの選択など的確なアドバイスをする場合もあります。また、奥様は支障には内緒でつくしを食事に誘ってくれます。ですから支障のためにも、支障の代演が出来るように早く真打になりたいと思っているつくしです。
こんな支障とつくしの絡む部分に他の登場人物をアレンジしたら面白いドラマが出来るんじゃないかと思うのですがどうでしょうかね。私は、秘かに川柳をなぎら健壱、つくしを斉藤由貴というキャスティングでと考えております。本当に実現できたらなぁと夢見ております。
それから、生でつくしをまだ聴いていないので、ぜひ聴きたいと思っております。

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2007.03.21

鈴本演芸場三月下席

◎真打昇進襲名披露興行
◆会場=鈴本演芸場
◆日時=2007年3月21日(水)17:20開演
  ◇鏡味仙三郎社中 太神楽曲芸
  ◇春風亭一朝 「初天神」
  ◇五街道雲助 「ざる屋」
  ◇柳家権太楼 「ジャンバラヤ」
  ◇昭和のいる・こいる 漫才
  ◇古今亭圓菊 「粗忽の釘」
  ◇柳家さん喬 「替り目」
  ◇鈴々舎馬風 漫談
 仲入
  ◇口上(さん喬、正蔵、馬石、雲助、圓菊、馬風)
  ◇ニューマリオネット 糸操り
  ◇林家正蔵 「鼓ヶ滝」
  ◇林家正楽 紙切(相合傘、夜桜、入学式、丹頂鶴)
  ◇隅田川馬石 「幾代餅」[20:33~21:07]

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2007.03.20

柳家権太楼名演集(2)

柳家権太楼=ポニーキャニオン 「寝床」「抜け雀」
いずれも、<鈴本夏まつり2006>での高座。二席とも、権太楼登場とともに万雷の拍手。「寝床」のマクラは最近よく耳にする、夫婦は同じ趣味を持たない方が良いという話。夫婦でゴルフをしてパー5のホールを嫁さんがラッキーの連続で2オンし“このパットが入るとイーグルよ、これが入ったら死んでもいいわ”と言うと旦那が“OKです”と言ったために、この夫婦は口もきかなくなったというもの。このマクラから客席は笑いモード全開。噺へ入っても客席では終始笑いが絶えない。サゲは志ん生バージョンで、書置きを置いていなくなった番頭が今は北海道で日本から義太夫を無くす会の会長をやっている、と言って“冗談いっちゃぁいけない”とサゲている。
このところ、私は権太楼の噺に笑えなくなっている。パターン化された表情、エーン、ウーンという時折にはいる口調、キンキンとした怒鳴り声。私も中野翠さんの顰にならって床の中で落語を聴くのだが、「抜け雀」では特にこのキンキンとした怒鳴り声があまりにも多くて、とても眠れないし聴いているのが苦痛になってくる。権太楼を聴き始めた当初は、私もこんな面白い落語があるのかと思ったものだが、ちょうどアサヒドライビールを初めて飲んで、その鮮烈な味に感動したものの、次第に濃くも香りも苦味もないその味に飽きたように、権太楼の落語にも笑えなくなっていった。先日もTVで「笠碁」を演っていたのだが、二人の大店の旦那とそのマクラで出てくる縁台将棋をやっている町内のオヤジとの差異が感じられないのだ。
ライナーノートに塚越氏が一文を寄せているのだが、言いたいことが沢山あるようで、ちょっと要点がつかめなかった。このシリーズ全巻に氏の文が載るのだろうか。
しかしながら、現在の落語界の先頭集団を走る噺家達の記録として、このシリーズが長く続くことを心から切望してやまない。

*ビールといえば、今日発売されたキリンの〔THE GOLD〕、泡がとてもクリーミィですね。

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2007.03.17

落語ファン倶楽部(vol.3)

笑芸人=白夜書房
今号での一番の読み物は、特集<そうだ、志ん朝を聴こう!>のなかの立川志の輔の項だった。あるいは、既に他のところで語ったり、書いたりしているのかもしれないが、己の落語人生を志ん朝に、そして談志に即して、赤裸々に語っている。志ん朝の落語は、見事な音楽になっていて誰もが演ってみたいと思わせるもので、志の輔も落研時代には、自身、天才的だったと回顧するほど三回テープを聴けば完璧にマスターし、そのコピー通りに学園祭などでやると大いに受けたらしい。しかし、卒業後、三宅裕司等と開いた落語会で「鰻の幇間」をやり見事に受けなくて、幇間の了見もわからずに演っても、所詮、コピーはコピーでしかないと悟り落語家にはならず就職する。そして、その後、談志落語に出会い、リズムとテンポの他に“考えて笑う”ということを知る。それをまたコピーしようとしたが、難解な譜面のため出来なかったらしい。志ん朝落語とは違う、落語を通じて己を語る談志落語の虜になったという。
それから後のことも種々と語っており、なかなか面白いのだが、それは直接手にとって戴くことにして、いまの志の輔落語に到達するまでの一言では言えないだろう苦労というものの一端を知ることができた。
同じ特集で、林家きくおが語っている、志ん朝がたまの寄席に出る時には前座も精鋭のAチームが編成されるというエピソードは、なるほどと思わせるエピソードだ。ちなみに、きくおは常にBチームだったそうだ。
あと面白いと思ったのは、<若手オールナイト討論 オレたち国宝一門>で、さん生、市馬、喬太郎が鼎談をしているのだが、その冒頭で、さん生が小さんの内弟子時代の一番の思い出として小三太と夜中にこっそりとソープに行ったら、“夢遊病者は寝てる間に塀を乗り越えていろんなところにいっちゃうんだけど、人は誘わない”と翌朝師匠に言われたと語っているのだが、このエピソードは、どこかで小ゑんも言っている。ま、実際、言われたのかもしれないけれど、どうも、よくできたエピソードというものは皆が使い回しているところがあるようだ。例えば、圓丈がよくマクラで使う、入門申込みを往復葉書で送ってきたというエピソードも上方の噺家も使っているのを時々聞いたりする。
今回も付録として付いていた三題噺のCD、今回は昇太が演じているのだが、一つの人情噺として楽しめた。

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2007.03.13

三遊亭圓歌独演会(参)

三遊亭圓歌=キング 「宮戸川」「品川心中」
このCD、去年発売されたものだが、録音は昭和55年。図書館で検索していたら目にとまる。聴いてみると、思いもかけず貴重なCDとなる。というのも収録されている「宮戸川」が、サゲまで演じられているのだ。落雷を縁にして結ばれたお花と半七。霊岸島の伯父の粋な計らいで夫婦になり、父親から貰った勘当金で横山町に小僧と女中との四人の小さな店を構える。そうして三年経ったある日、小僧と浅草まで出掛けたお花は、雷門で雷に逢い癪を起こし気を失う。そこへ通りかかったゴロツキ三人になぐさみものにされた上に、宮戸川に投げ入れられる。半七は、いなくなったお花をほうぼう探したが、結局、見つけることができず、お花がいなくなった日を祥月命日として、その一周忌に墓参りを終えた帰りに乗ったチョキ舟で、そのときの三人組のうちの二人、カメとトク(もう一人はキチ)に出会う。そして、一部始終を知る。ここで鳴物が入り芝居仕立てとなり、双方が睨み合う所で小僧に起こされ夢と知れる。サゲが“夢は小僧の使い”。なるほど、なるほど、こういう噺ですか。隅田川馬石などにも演ってもらいたい噺だ。たっぷりと芝居仕立てで。
約四半世紀も前の高座だが、圓歌の伝法な口跡も勢いがあって、なかなかいいものです。ただ“山のアナアナ”だけの人気ではなかったんですね。

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2007.03.10

五街道FOREVERⅡ

◆会場=下谷神社
◆日時=2007年3月10日(土)14:00開演
  ◇五街道弥助 「鮑のし」
  ◇五街道雲助 「お菊の皿」
 仲入
  ◇口上=弥助、佐助、白酒、雲助
  ◇桃月庵白酒 「寿限無」
  ◇五街道佐助 「淀五郎」

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2007.03.09

江戸のラヴソング

柳家小菊=ソニー
小菊姐さんのCDを聴きました。寄席での短い出番に飽き足らない小菊ファンの渇を癒す一枚。最後のトラックの『解説文に代えて』で冒頭に“緊張しました”と言っているように、角々が立って、いつもの柔らかさがないかなとも感じましたが寄席ではめったに聴けない唄の数々を堪能しました。この『解説文に代えて』は、大変に参考になります。端唄と小唄の違い。難しい質問で、結局は、端唄の看板を出している人が唄えば端唄であり、小唄の看板を出している人が唄えば小唄である、ということ。三味線を、端唄はバチで弾き、小唄は爪で弾く、ということ。そして、小唄は囁くように小声で唄う、ということ。その伝でいくと、このCDの一曲目の「梅は咲いたか」は、端唄ということですね。私がこれまでこの曲でイメージしていたものは小唄でした。また、サワリという言葉も知ることができ、とても勉強になりました。そして、三味線というものは、人間が関わる部分が多い楽器だから三十年やっても飽きないと(“年がばれちゃう”と言ってましたが)。
寄席でよく聴く「蛙ひょこひょこ」も、スタンダードナンバーということで入っています。師匠である柳家紫朝がよく演っていたそうで、教えを乞うたところ“こんなもの、見台を間にして教えられるか、勝手にやれ”と言われ、独学で習得したそうです。しかし、「二上がり新内」と「淡海節」は元気な頃の師匠にきっちりと教わったそうです。師匠が紫朝だということも恥ずかしながら初めて知り、落語協会のプロフィールを慌てて見た次第。
「都々逸」などのしっとりとした唄もとてもいいですよね。寄席では、なかなか唄えない、勇気を出して唄えばいいんだけど、と仰っています。ホント、たまにはお願いしたいですね。
最後にジャケットの写真に苦言。華やかで艶っぽい実物と違ってちょっと老けて見えるのですが、ほかの写真はなかったのでしょうか?まぁ、それはともかく、観る芸でもあるのですから、将来、DVDでも出して欲しいものです。
ちなみに、太鼓が、志ん輔とクレディットされています。

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2007.03.07

五代目柳家小さん落語傑作選(其の十)

柳家小さん=NHKソフトウェア 「八五郎出世」「たぬき」
わが街の図書館にも、最近、DVDが資料として備えられるようになった。おかげで、このような落語関連のDVDも観られるようになった事はありがたいことである。ただ、ソフトは次第に充実されても、その資料のデータが十全でないので検索するのに余分な手間がかかる。ただ入力していればいいだろう、というようなデータなのである。利用者の便は全く考慮されていない、という代物である。
さて、愚痴はこれくらいにして、この小さんのDVD全10巻もこれで全部観たことになる。そして、少しずつ小さんが面白くなってきた。この巻に収められた「たぬき」などは、その最たるもので、狸の声などは、今まで聴いた噺家のどれよりも素晴らしく、なるほど、狸が声を発したらきっとあのように発するであろうと納得されるものなのである。自身の言う“狸の了見になれ”が如実に体現されたものだと感服した次第。この「たぬき」、通常、よく耳にする「狸の札」と珍しい「狸の鯉」が入っている。「狸の鯉」は初めて聴くので、まさに僥倖である。なお、「狸の札」と「狸の鯉」の間に、蕎麦屋に十銭の勘定を払う場面も挿入されていた。もう一席の「八五郎出世」は、八五郎が、殿様から普通に話してよいと言われて普通に殿様に語り終えるまで。両方とも、『夜の指定席』という番組で放送されたもので、「八五郎出世」が約25分、「たぬき」が約35分。時間と演目からして、「たぬき」が中身の濃いものになったのも頷ける。
このシリーズ、一巻の収録時間が大体60分未満。二巻分を一巻にまとめられる長さだ。無理に10巻のシリーズにしているようで、消費者には困ったことではある。そして、NHKは概して、その放送日時と放送した番組をパッケージに記載するようだが、我々が欲しい情報は、収録場所とその日時だと思うが、如何なものでしょうか?
このシリーズの九巻目に収録されている「御慶」、これもなかなか結構なものだが、これが収録された場所はどこであろうか?畳の席なのだが、改築される前の池袋演芸場だろうか?御存知の方、どうぞ御教示下さい。

↓第九巻「御慶」
Memory01

*HMVの情報に『落語研究会:柳家小三治全集』と題したDVD全10巻のセットがソニーからリリース(2007.06.27)される旨があったが、これは小三治の落語研究会での高座を映像化したものなのだろうか。だとしたら、楽しみである。そして、続いて志ん朝のものもリリースして欲しいものである。

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2007.03.04

落語「通」検定

インプレスジャパン
このムック、読む前はさほど期待していなかったのですが、案に相違してなかなかの好著です。何が良いかといって、全編が噺家の論理で貫かれているからです。この本の執筆にも関わった林家ぼたんの言葉を借りれば、噺家の視点で書かれているからです。そして、もっと言えば、高所からの視点ではなく、前座、二つ目の視点で書かれていると言ってもいいかと思います。具体的にどこがとは指摘はできませんが、これまでの数多の類書を読んでこのムックを読めば、恐らく判ることと思います。
恥ずかしながら、これまで私は、ノリ屋の婆さんは海苔を商うとばかり思い込んでいたのですが、実は糊を商うということを、このムックを読んで初めて知りました。こういうことは御通家の方には当然の知識かもしれませんが、ほかにも「尻餅」についての臼は女性の、杵は男性の象徴であり、掛け声が次第にテンポが速くなるのは実に味わい深いものがあるというような、長年修行している噺家でなければ書くことのできないと思われることが所々に著されています。
柳家生ねん、このムックでも活躍していますが、シブヤらいぶ館でも大活躍ですよね。ネタ帳にネタを書いている写真が載っていますから、きっと立前座なのでしょうね。寄席でもよく見掛けます。ただ、メクリを時々間違えて出します。一緒に写っている女性の方はなんという名でしょうか?
このムック、総じて結構なものだと思うのですが、ただ、題名は如何なものかと思うのです。検定とは相反する言葉ではないでしょうか。どうも私はスキルアップとかいう言葉にも馴染めませんもので。
それから、昨日黒門亭で見た翁家さん馬の南京玉簾も紹介されているのですが、この頁は林家ぼたんの執筆なのでしょうか?

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2007.03.03

黒門亭三月第一週

◆会場=落語協会
◆日時=2007年3月3日(土)14:00開演
  △柳亭市丸 「子ほめ」
  ◇柳亭こみち 「たらちね」
  ◇むかし家今松 「風の神送り」
 仲入
  ◇翁家さん馬 「薮入り」+南京玉簾
  ◇柳家三三 「三味線栗毛」

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2007.03.01

CD落語特選⑬春風亭小朝(二)

春風亭小朝=ビクター 「厩火事」「七段目」「品川心中」
小朝のCDを見つける。現在、小朝のCDは市場にはほとんど出回っていないので、貴重なものではなかろうか。25~27歳の頃の録音だが、語り口は現在とさほど変わらない。達者な語り口である。解説で、大貫雅吉志さんも言っているが、マクラの巧みさもこの頃から秀でたものがある。時には、志ん朝の二番煎じ、模倣と言われたこともあるらしいが、たしかに、多少似ている所が無きにしも非ずだが、しかし、もう既に今の小朝を確立している。ただ、三席聴くと、表現がパターン化して聞こえるときもある。それは、やはり若さの故か。そして、例えば、“買いましてねっ”と言うときの“てねっ”という語尾が頻出するので、時として耳障りだ。そういう点は若干気にはなっても、中学生の頃には、もう70幾つの噺を物にしてたというし、声質はいいし、語りも流暢だし、35人抜きで真打になったのも宜なるかなである。
小朝が、今、何故CDをリリースしないのか不思議だ。きっと売れるだろうに。小朝のファンも待ち望んでいるのだろうに。小朝の戦略として出さないのだろうか?

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