志ん生の右手
矢野誠一=河出文庫
時折、同じ演題をいろいろな噺家のCDで聴き比べる。そして、こういうことをライブでも聴きたいものだと夢想する。同じようなことは誰しも思うものらしい。
小沢昭一に勧められて『國文学』や『新劇』などに書いた“ちょいカタメの、あまり商売気のある本屋さんにむかないもの”を集めて出した『落語は物語を捨てられるか』(新しい芸能研究室)を商売気のある河出書房新社から文庫で出したものがこの本。前のタイトルでは売れ行きの不安を感じて『志ん生の右手』としたのだろう。しかし、やはり、この本の通奏底音は『落語は物語を捨てられるか』に記されている“落語にとって物語とはなにか”ということであろう。著者が高校の頃、いろんなジャズバンドが「アゲイン」を競演したのを聴いたことがあり、落語でもいろんな噺家が例えば「寝床」を競演するということは叶わぬ夢だろうかと考えていたら、ある時、永六輔構成・演出で催された<六輔その世界>という会で毒蝮三太夫と柳家小三治が続けて「湯屋番」を演ったという。それなりに演じた毒蝮の後の小三治は、物語を奪われた噺をプロの技術をもって苦心して緊張しながら演じたという。今は、「湯屋番」は誰が演っても「湯屋番」であり、「湯屋番」を聴いても例えば“桂文楽のはなし”として聴くことは無理なのだろうかと著者は言っている。この文庫版では、小沢昭一と著者の指名ということで、現在の小三治が<解説にかえて>を書いている。小三治は、このときのことを覚えていて、面白いことに著者の想像とは違って、あの時は、永六輔の指示ではなく自分の決断でやったという。その時の客が“ショー”を観に来た客だと感じてやってみたという。“こんな客にまともな落語を聞かせられるかい”という思いからあえて“自殺行為”をやったのだと。この話、音符と言葉との違いがあると思うので一概には言えないだろうけれど、やはり、言葉を媒介とする落語の方がより困難だろうと思う。そして、確かに同じ「湯屋番」を聴かされるハメになるのかも知れないが、すくなくとも今の小三治は“小三治のはなし”を我々に演じてくれるだろうと思う。
この頃、著者は月に百枚ほど原稿を書いていたという。だからか、どうしても同じ文章が散見するのだが、それもやむをえないところか。そのなかで、初めて知った赤平事件についての文章<翫右衛門と赤平事件>は面白かった。前進座は、日本共産党と親密な関係があったのか。そうすると、山中貞雄なんかもそういうシンパシーはあったのだろうか。
この文庫の表紙と、同じ矢野さんが編んだ同じ出版社の『志ん生讃江』は同じ志ん生の写真が使われたまったく同一の表紙。これは、タイアップ商品ということでこういうことになったのだろうか?普通は、ありえないと思うが。
しかし、河出の文庫は値段が高い。
*261頁に寺尾昌晃とあるけれど平尾昌晃のことなのだろうか。
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