落語の極
テレビ東京(2007.02.22放映)
◇瀧川鯉昇「宿屋の富」
収録=深川江戸資料館
インタビューで、鯉昇のプロとしての噺家の気概をみせてもらった気がする。随分長い間続けている幾つかの落語会では、身辺雑記風のマクラを新たに拵える事を自身に課してきて、集積したそれらのマクラで一時間は場を持たせる事が出来る、との自信を(勿論控え目にだが)鯉昇は語っている。この日の高座でも、よく耳にする“運のいい人、悪い人の”マクラのほかに、初めて聴く小咄をこれでもかと聴かせてくれた。さすが、余裕のマクラである。
この日のネタ、「宿屋の富」の舞台を、鯉昇は湯島天神としているが、地理的に言えば、椙ノ森神社が妥当なところだが、地方の人には、やはり判りにくいから、知名度の高い湯島天神にしているという。これについては志ん朝にも尋ねたが、それでいいんだよとの返事だったとか。ちなみに、志ん朝も志ん生も湯島天神として演じている。しかし、馬生は、椙ノ森神社である。火焔太鼓というものは大きい物だから、風呂敷に包んで運べる代物ではないんだということで、大八車で運ぶ設定にしたという「火焔太鼓」同様、さすが、馬生の面目躍如である。
志ん朝のCDに付いている榎本滋民さんの解説を読むと、五百両の入った胴巻きを投げ出すと、なじみの女郎が一尺ばかり飛び上がるというクスグリは、“志ん朝の独創”らしいが、このクスグリは鯉昇のものにも入っている。鯉昇は、志ん朝に教わったのだろうか?しかし、一文無しの客の法螺話は、鯉昇のものが桁外れだ。奉公人の数も然り、庭に、富士山、琵琶湖があるというのも然り。さすがは鯉昇と思う所は、何度も何度も籤を確認した後に、“どこが違うんだ!?”という一言。この一言に鯉昇落語のエッセンスがあると思う。
この噺は、上方の「高津の富」を三代目小さんが江戸に移植したそうだが、フーン、それなら、うどんも蕎麦に直せばよかったのに、と思っていたら、それにも榎本さんは、ちゃんと解説している。三代目小さんは、多くの噺を上方から持って来て、“筋・演出をかなり変えたものが多いが、これはすんなりと移したものの方”らしい。小さんと言えば、先代小さんの「宿屋の富」は、ちょっと違っていて、宿主の方から当たったら半分下さいと申し出るし、富が当たり部屋に戻った客は二階ではなく、一階に布団を被って寝る。榎本さんの解説を読むと、七代目可楽から教わった先代小さんのこの演出が、本来の型ということになるのだろうか?
『落語の極』、次回は、「時そば」。そして、『東京かわら版』によると、来月は、三升家小勝、五街道雲助が登場するらしい。
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